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母が認知症と診断されて気づけた、大切なこと。

2020年、コロナが始まって、世の中みんなが恐怖で震えていた時期。

誰もが外出を控えていた3月、4月頃、毎日出かけていた母も家にいるようになって、
ある日、台所でいつもの野菜を見ながら「これなんだっけ?」と言われた時は、本当に衝撃で、ショックで、そのあと1人で部屋で現実を受け入れられないまま、震えながら、どうしよう!という不安と恐怖心で泣いたのを覚えています。

2年くらい前も、インフルエンザか何かで1週間くらい寝込んだ後、言葉がパッと出てこない感じになり、その時も母の様子がおかしいと直観して、
物忘れ外来に一緒に行ったりはしていました。

その時はまず「物忘れ外来に行ってみない?」ということを言うのに、3か月〜半年くらいかかったと思います。

母を傷つけるのではないか、
自分でも母がおかしいな、というのを認めたくない気持ちで、様子を見ながらなかなか言葉にできませんでした。

で、コロナになって、部屋に1人でいるようになって、
認知症、と診断されるのですが、

普通なら分かることが分からなくなっていたり、できていた当たり前のことができなかったりすること一つ一つに、驚いてしまったり、ショックで、
最初の頃、怒ってしまったりしていました。

通帳やカードがどこにいったか分からない、とかになると、
「どこにしまったの⁈いつもここに入れていたんでしょ⁈」みたいにイライラしてしまったり、
「これどうやるんだっけ?」と今まで作っていた料理がまったく覚えてなかったりすると、「なんで、こうでしょう!」みたいに言ってしまって、母も機嫌が悪くなり、

「もういい!自分でやるから!」と、キーッとキレてしまうみたいなことがありました。

その度に、私も部屋で1人で大泣きしました。

ネットで調べて、「怒ってはダメ」とか見るのですが、
話しているとこちらの頭がおかしくなりそうになったりして、その場になるとイラッとしてしまうを何回も繰り返していました。

そんな中、また泣きながら、
このままでは、家が崩壊してしまうような、
家族みんなで疲弊してしまうと感じ、外へも助けを求めなければ、と、地域の相談できる場所へ連絡したりもしました。

でも母はそのような方や、どこかデイサービスみたいな所へ行くことを物凄く拒絶し、
相談先の方に相談しても、らちがあかない感じでした…

私は、自分の気持ちが揺さぶられ過ぎて疲れ果てていて、このままではダメだと思い、なんでこんなにイライラしてしまうんだろう、と自分を見つめたのですが、

気持ちの根底には、「母がこうなってしまったことが、悲しくて悲しくてたまらない」という気持ちなのだ、ということを自覚しました。

どうにか今までの母でいて欲しい、戻って欲しいという気持ちが出て、
直そう直そう、としているんだと分かりました。
きっと父も同じでした。

母からみたら、一番頼りたくて助けて欲しい家族が怒るって、本当にひどいことしてしまっていると思ったら、また涙が止まりませんでした。

そんななかで、ある記事が目に止まりました。

「何度も同じことを聞いてくる母にイライラしていたけれど、笑いに変えると、同じ質問をしてこなくなる」

というものでした。

そうなんだ、、と思いました。

それから、笑いにすることを意識しました。

母が物をどこにしまったか分からなくなったり、例えばコーヒーをうまく入れられなくなったりしても、

「えー、きっとどこかにはあるから大丈夫だよ〜」とか、
「えー?そんなことになっちゃったの〜?😄」と笑うようにしました。

そうすると母も、つられて笑うんですね。
深刻そうにしていた顔が変わって、
「あれー、そうかー、まったくやんなっちゃうわー」なんて感じになって、2人で笑うようになりました。

そうすると、日々の日常が、認知症と診断される前より幸せな感じがしたんです。

何気ないことでも楽しくて幸せだな…って感じている自分がいて。

その時に、「ああ、母が笑って楽しくすごしてくれるだけで、私は幸せだ」って思いました。

そして本当に求めていた幸せって、家族が思いやって、何かあっても笑えて、ただご飯を美味しく食べられて、、
それが欲しいだけなんだな…とも思いました。

私は、結構、完璧主義みたいなところもあって、
ちゃんとしてないと嫌だと思ってしまうところもあったと思うんですけど、
母が少々、いつもと違うところに閉まっちゃっても、料理が出来なくなったものがあっても、別に死ぬ訳じゃないし、必要ならまた買えばいいし、一緒にやればいいし、
別に大したことないことで、ちゃんとさせよう、して欲しい、って思っているんだな、、と気付かされました。

私の中の、ちゃんとしなければ、を変えてくれてるんだな、と思いました。

進行度合いによっては、そんな悠長なことをいってられない、という方もいると思うのですが、
進行を防ぐためにも、笑って、安心感を与えてあげる、というのは決してマイナスにはならないだろうな、と思っています。

日々、様子を見ながら情報は集めながらいこうと思っているのですが、
今は自分のことは自分でできて、ウォーキングなども好きで、日常、少し気を配ってはいますが、元気でいてくれています。

本当にそれだけで、私は救われているし有難いな…と思います。

ここから色んなことがある可能性もありますが、今、元気で一緒にいられるこの時を大切に、一緒に出かけたり、お茶したり、味わって楽しもうと思います。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます💗

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