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道行きや  伊藤比呂美

むねのたが  

若いころ、伊藤比呂美さんが苦手だった。
思っていることは共感できるのだけど、
声が大きすぎるとか、話し方がキツすぎるとか、そんな感じ。
さらに、あなたの思うことにとても共感するけれど、
私はそんなにはっきりと自己主張はできないよ 
と何だか拗ねた気持ちになった。
思ったことをちゃんと言えない自分がだめなやつだと思ってしまう。
自分の気持ちのままに破天荒に生きる彼女が羨ましくて、
嫉妬していたんだと思う。

それが、久しぶりに手に取ったエッセイが面白かった。
相変わらず破天荒な感じだけど、すんなりと受け入れた。
彼女の物の見方を、素直に「いいね!」と思う。
好きに生きてるようにみえたけど、たいへんだったね!と思う。

彼女が変わったんじゃなくて、私が変わったのだ。
私の人生は人と比べなくていい とちゃんと思えるようになった。
私だって、大人になったんだ。

むねのたが というエッセイを読みながら、思うことがあった。
いいなと思っていた人と実際に付き合い始めた途端、その人のことがすごく嫌になってしまう現象をこう呼ぶらしい。
グリム童話の「蛙の王さま」に依る命名だそうだ。
それも面白かったけど、ああと思ったのは、「蛙の王さま」に出てくる
むねのたがだ。

王様の忠臣ハインリヒは、王子が蛙になったときに、悲しみのあまり胸が破裂しないよう鉄のタガをはめる。
幸せになった王子と姫が馬車に乗っていると、パチーンと音がする。
馬車が壊れると言った王子にハインリヒは答える。
「あいや、とのさま、馬車ではござらん、
これは、てまえのむねのたが
とのさまが泉のなかにおすまいなされ、
とのさまがおかえるどんでござったころ、
きついいたみをしめつけおったむねのたが」

思い出したことがある。
介護生活の中で、ある時娘が言った。
前のお父さんのままこうなったら、お母さんはもっと辛かったよね。

前頭側頭型認知症を発症した夫は、さまざまな行動と言葉で
私を困らせ、悲しませた。
そうやって、夫は私のむねにたがをはめたのかもしれない。
夫が動けなくなり、しゃべれなくなり、食べられなくなり、
やがていなくなったとき、私の胸が破裂しないように。

私のむねのたがはまだはずれていなくて、だから普通に暮らしている。
このたが、外れるときがくるのかな。   
たがが外れたとき、私は初めて心の底から泣くだろう。

伊藤比呂美が、若いころは噎せてしまったが今は快いという
金田鬼一の訳で、蛙の王さまを読んでみたい。
そして、菊地信義さんの装幀が秀逸。

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