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台湾留学記⑤

未来の空の色


本来自分は気分の振り幅が大きいタイプだとは自覚していたけどこれほどまでとは、、、今週も新しい発見があった。

月曜から1週間、落ち込んでいたというより何に対しても気力が湧かず、オベンキョも『マッジ無理〜』を心の中で少なくとも175回は叫び、夜も調子が悪い日は特に、1日の反省を頭の中でずっとするもんですから、しかし今日はなにを達成したか、どう成長したかがどこをどう探しても現れず、最終的には自身の存在意義などに対しても疑問を抱き始め、布団の中でひっそり泣いたものだ。

そして土曜日、どんな てんしょん で彼氏に会えばいいのかも曖昧なまま台北に行き、先週の日曜の続きを始めるかのように、振る舞った。


ところで私の厄介な個性として、お菓子を買ってもらえるまで駄々をこねる幼稚園生のような頑固さと、今まで泣き喚いていたはずなのに一つ気になるおもちゃを見つけるともうそれに夢中になる赤ちゃんのような単純さが混在する。


週末はこの『頑固さ』が見事に発揮され、『もう絶対に大学に戻らない、誰が探しても台湾の奥地まで逃げる』というミッションを遂行することだけを考えていた。誰にも悟られずに遂行すべく、彼氏、彼パパ上、彼ママ上、彼兄上には、いつも通りの私で振る舞った。

兵役で週末しか帰省できない彼氏は、心理状態はもちろん、私の課題の進捗状況、授業の理解度、テストなどの評価物のスケジュール管理を確認してくる。

月曜提出の機械学習の課題(車が映っている画像と映っていない画像をコンピュータに学習させ、駐車場の画面から「車」を認識する、さらに複数の学習法があるため、それぞれの物体検出のAccuracyを比較する(簡単に言えば、防犯カメラin駐車場のアルゴリズム)) のコードがなに一つ書けていたかったため、一応彼氏にも伝えた。

この課題が今週の大部分を憂鬱にしていた。(他にも授業の内容がわからなかったり、理解度が追いついていないのに、後日中間テストが待ち構えていたり、不安、焦りの原因は多岐にのぼるゾ⭐️)

機械学習には興味があるものの、内容としては、かなり、というか非常に高度である。

実際、なぜここまで気分が沈んでしまったのか、自分でもよくわからないのだが、おそらく『できない』『わからない』という現実から逃げたくて逃げたくてしょうがなかったのだ。


彼氏は、絶賛自暴自棄な私に対しても熱心に一緒に課題に取り組んでくれた。彼氏のコードの説明を右から左に受け流し、実際には

『人の分の課題を手伝うなんてカロリーの高いことを、なんでするんだろう?』『私のこと、めんどくさく感じてないかな』などと考えていた。

自分がどれだけ能無しなのかに失望してまた涙が出た。(説明中に泣き出すのは日常茶飯事なのだが)

メンタルが限りなく−∞になったとき、私は非常に脆く女々しくなる。


そしてよく悪夢を見る。

今回は、薄暗い混乱の最中である世界で、父と姉と一台のバイクで命から柄逃げるようにある店の中に避難する夢を見た。そこには他にも なにか から逃げてきた人が大勢いいた。店内はドンキホーテのような安っぽさ、混沌さ、下品さがありその中で一晩過ごそうものなら社会的能力を備える人間としての威厳を保てないような争いが起こることは容易に想像できた。

よくは覚えていないものの、これからの避難場所に関してこの店内に居続けるという父の意見と、そうすれば1週間のうちに必ず死ぬ、だからまた他の場所を探しに出るという私の意見が食い違った。

そして私は二、三日のうちに隙を見て、バイクを盗み姉と抜け出すことを決めた。肉親を見捨てるという罪悪感が呼吸すらも浅くした。それを全て、吐瀉物として一回で吐き出して、楽になりたいほどだった。


昼夜の区別ができないほど、空は暗く湿っており、そしてやはり、店内で乱発が起きたため私は急いで外に出た。外も変わらず暴走団や逃げ惑う人々を認識でき、叫び声、地鳴り、クラクション音などが混ざり合った『世紀末』を印象付ける騒音が耳に刺さる。

突然、私の目の前で若い女性が倒れた。体が激しく痙攣しており、目の焦点が合っていない。彼女に駆け寄った中年の男性が『ADHDだ!ADHDだ!』と叫ぶ。実際、彼は薬物ドラッグの名前を叫んでいたが、私には4文字のアルファベットの薬物があることしか知らないため、それが、寝る直前に考えていた『ADHD』という単語に夢の中で置き換わってしまったのだろう。


突然夢の中の場面が変わる。

木造の教室の中にいた。そして教師のようなしかし修道女の格好をした女が複数人、我々を囲んでいた。そこに姉も父もいなかった。空は同じく黒かった。

修道女は毎回一人子供を別室に連れて行った。境界となるドアに映るのは修道女の姿から変化した鋭い牙を持つバケモノが子供を食い散らかす影だった。いつ自分の番が来るかわからない焦りが募る。

まるで漫画の『約束のネバーランド』のような、迫り来る『死』から逃げ場のない状況だった。ここをどう脱出しようか考えるうちに目が覚めたのだが、今回の悪夢には1週間の私の思考が鮮明に反映されていた。


得体の知れない なにか から逃げてきた人に対応する、未来に対する不安、切迫感や圧迫感から逃げたいと思っている今の生活。

父を見捨てる罪悪感に対応する、経済的に留学を支援してくれている家族を裏切るような、頑張れない自分でいる罪悪感。

中年の男性が叫んだ『ADHD』という単語。自分の感受性にこれらの病名がつく問題があるのかという疑念。

修道女に扮したバケモノに食い殺される運命、避けられない『死』にどう怯え、その運命をどう捉えるのか。


この夢で鮮明に浮かび上がる『死』というワード。

個人的に生産性のない1日は、食欲があることにすら罪悪感が湧く。何のために食べるのだろう、何も生産しない輩が。という暴論が自分の中で危険にも腑に落ちていく。


月曜の昼、本来授業のために新竹に帰る予定だったが、もう1日居させて欲しいと泣きついた。起きてから殆ど泣いていたため、彼も私の異常に気付いたらしい。

何を話したかは曖昧だが、その時の私は確実に目に生気がなかった。


精神科に行くことも検討されたが断った。

ある程度気の済むまで泣いたからだ。

夕方、散歩がてら夕食のために淡水へ。そんな中、彼が問うた事、

『人生を懸けて成し遂げたいことは何か、それほど大層でなければ将来どのような生活をしたいか』。

そして『今取り組んでいることはその生活につながるか』

『その生活が実現できるならばどのくらい本気になれるのか』

だった。

実のところ、今回のこのdepressionの原因ははっきりしていなかったため、将来の目標を再確認したところで解決するようにも思えなかった。

が、彼が言いたかったことは、現在取り組んでいることが将来につながると信じられるなら、安心して努力すればいい。ということだった。


そして成長、学習のスピードも人それぞれ違う。今は理解できなくても、今は人より時間がかかっても、最終的に習得できていたらそれでいい。


『途中でうたた寝をして負けた兎も、地道にコツコツ歩いて勝った亀も、最後は両者ともゴールに到達している。』


振り返ればたくさんの思考を経験した1週間だった。約2年の留学生活の中で、こんなに理由もわからず、そしてかなり深くまで沈んだのは初めてだ。

しかし月曜日だけである程度まで回復できたのは、元より備わっていた『単純さ』のおかげだろうか。


結果としては、考えを変えたことによりdepressionを乗り越えたとも言える、が単に何もしないことに飽きたからなのか、泣くのにも疲れたからなのか、自分でもよくわからない。

意外と次のdepressionが怖いとも思わない。


だから目先の順位に惑わされず、自分にベクトルを向けて生きていこうと思った。

自分を責めず、マイペースに生きていこうと思った。

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