イイネという承認欲求を満たすもの

ずーっとずーっとずーっと思えば、何か書いて生きてきた。
詩を書くのが好きだった。
小学生の頃、青梅市内の小学生の書いた詩や作文を載せる文集があって、それに選ばれた事もあった。褒められたら嬉しいし、作文も詩も小学校の6年間のうちどちらも選ばれて載った事があった。

それからmixiとか出会い系サイトとか、そういった所でも書き続けていた。イイネという読み手が反応を示す機能があったけど、私はこれが大嫌いだった。

イイネってなんだよ。お前誰だよ。お前にイイネされても素性も分からないし、イイネなんてされても嬉しくない。嬉しいと思ってんの?迷惑だから。



本当に、そんな事思っていた。かなり斜め行ってるかもしれない。

イイネを求めて、自己を満たす・承認欲求を満たす人が居ると知って驚いた。

他者からのイイネを求めて書き続けた物は、本当に書き手が伝えたい事なのだろうか?
書き手と読み手の思いが合致していた上でのイイネであればいいけれど…それでも、書き手が伝えたかった事を読み手が100%合致させる事はない。
100人読み手がいたら、100通りの受け取り方がある。

それを考えた時、恐ろしくなった事すらある。


イイネなんてしないで欲しい。真意は伝わってない。あなたと私は違う。イイネと思ったのならば、イイネを押さずに、あなたの思いを書ける場に書いて発表して欲しい。
そうしたらあなたの書いた物にイイネが貰えて、あなたの仲間が増えるよ。



うーむ。書いてて、かなりゆがんでると思う。でも真剣に思っていた。
イイネをたくさん押されて、イイネストーカーに遭った事がある。イイネテロと出会い系サイトでは言われていた。

イイネを押した自分という存在に、気づいて欲しい

お前の書いた文章は鬱陶しい。本当は全くヨクナイネだ。目障りだからブロックして欲しい。だから大量にイイネを押す!!!

いや本当にこう言う行為が一時横行していたのよ。出会い系サイトで。
迷わずブロックしていたけど。

自分の書いた事を一方的に受け取り、イイネを押されて相手の記事なりプロフィールを読みに行っても、何も書いてなかったりする。

受け取り乞食か…と思って、つまらないと感じてブロックしてしまう。どんな人間かも分からない人にイイネなんてされたくはない。

イイネをすると、なんとなく上下関係が発生する気がしてそれも好きではない。

イイネを押す事に漸く慣れてきたけど、本当にここ数年で、イイネを押す事はとても緊張する事であった。

押されて嫌がられたら、ブロックされたらどうしよう…←お前自分がそう言う事してっからだろ😹ってとこよね。



あまり他人の記事に興味がなく、noteもフォローしてる方のみ記事を読みにいく。
インプットも大事なのに。


出勤前の移動時間に記事を書いてる。そろそろ会社の駅だ。
はーだるい。

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