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座禅修行体験記

どーもー。旅ノリです。
京都の宝泉寺禅センターにて、3泊4日の禅修行をしてきました。生活リズムを整え、自分のおかしな考え方を一度リセットするために入山しました。

1日の流れ

  • 5時20分起床

  • 八段錦(太極拳)

  • 朝の坐禅

  • 粥坐(朝食)

  • 朝課(読経)

  • 掃除

  • 作務

  • 行水

  • 小坐禅

  • 斎坐(昼食)

  • 自由時間

  • 小坐禅

  • 薬石(夜ごはん)

  • 仏教聖典拝読

  • 坐禅

  • 22時就寝

禅センターでの生活

特筆すべきは坐禅と粥坐・薬石の時間です。
坐禅は坐を組んで25分程度瞑想します。簡単に思っていましたが、呼吸だけに集中することが難しく、集中できていないと足の痺れや腰の痛みなど色々な感情が溢れ出て来ました。最初は集中し続けられるわけないと思うくらい思考があっちゃこっちゃ行っていましたが、4日間のうちの3日目の1度だけ呼吸に集中することができ、今に集中することの大切さと、できなくてもやろうとすることが大事だと気づきました。
粥坐・薬石は食事のことですが、作法があります。入山するとすぐに作法の指導があるのですが、覚えられないくらい細かく、実際は周りの修行者の様子を真似しながら食事します。食事中は常に正座で、足が痛かったので早く食べ終わりたいという気持ちでした。しかし、普段の生活よりも食を大事にしている感覚があり、コンビニで買って食べながら帰るようなインスタント生活で忘れていた食事への感謝の気持ちが湧いてきました。

修行という修行は坐禅と粥坐・薬石でしたが、禅センターでの生活の中で他の修行者さんと話す時間や和尚様の説法を聴く時間はとても為になりました。当たり前の話でしたが、改めて人から直接話してもらうと素直に聞き入れられるようになったと思います。

修行の理由

修行に行こうと思った理由は、今の自分は人様の力を借りないと、自分を甘やかし、やりたくないことから逃げ、感謝の気持ちも持たない人間になると思ったからでした。現状、仕事を休んでしまっており、それも1ヶ月休職したあとに1ヶ月職場復帰しましたが、さらに1ヶ月休職をしているところです。前回の休職時には実家に帰り、何から何まで親に面倒を見てもらっており回復したのですが、職場復帰すると自分の生活が投げやりになり、仕事は相変わらず何をしたらいいか分からない状態になっていました。2回目のお休みをいただいたからには、やってもらって当然と考えるお客様精神を見直すべきだと考え入山しました。

修行を終えて

生かしてもらっている

修行を終えて、まず生かされていることに感謝しようと心から思えるようになりました。近頃は生きていたくないし、生きたいなんて思っていませんでした。しかし、私がそう思いながらも、色々な人やものの支えがあったから、投げやりになっても生かしてもらっていたわけで、ただで生きているのではないよなと実感しました。今までも、感謝の気持がなかったわけではないのですが、こんな考え方をしながら生きていてごめんなさいという申し訳なさからくる感謝でした。嫌な考え方を持っていることも能力が低いこともあるけれど、そんな自分のことを受け入れてくれている世界があることに目を向けて感謝しようと思います。

全力で取り組む=集中の過程

坐禅をして全力で取り組むイメージが変化しました。今までは全力で取り組むというと、爆発的な速さやパワーを持って何かに取り組むことだと思っていました。しかし、集中しようとすることが全力で取り組むことだと今は思います。坐禅中に何度も意識が別なことに逸れましたが、戻そうとしなければ戻ってくることはありません。意識を何度も何度も戻そうとすることが全力で取り組むことであり、集中の過程に必要だと考えました。今まで全力で取り組まなきゃと思ったときは、どれだけ体に負荷をかけられるか、動けなくなるくらいどれだけ頑張れるかが全力で取り組むことだと思っていました。今までそれで身体を壊すこともあったので、大事なことに気づけたと思います。

素直さは成長の親

和尚様の説法の中で素直さは成長の親という言葉を聴きました。子どものうちは親に躾られることで人として成長しますが、大人になると叱ってくれるような機会は少なくなります。そのため、自分の中に素直さを持っていることが重要ですという話でした。説法を受けてるそばから、素直になれたらこうはなっていないよと、受け入れられなかったのですが、修行が終わった今はそうだよなと思います。心に余裕があるかで受け入れられるか変わるのかもしれませんが、どんなときでも素直になりたいです。

以上、拙い文章ですが読んでいただきありがとうございました。

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