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「そもそも」を大事に

仕事のシーンでは特にそうですが、色々と打ち合わせやディスカッションをしているときに、議論があらぬ方向に行くことってありませんか?

各人が言いたいことを言いまくって、議論が活発化しているように思えますが、「結局何の話だっけ?」となってよくわからないまま終わるケースを経験された人もいらっしゃるかもしれません。

そうならないように、私は打ち合わせだけでは人と話をしている際に「そもそも」という発想に立ち返るようにしています。

今回はこの「そもそも」ということについて書いてみたいと思います。

会議は必ず何かの目的がある


会議には目的があります。逆にいうと目的のない会議は会議ではありません。単なる時間の無駄です。

情報共有、上司への報連相、次の動き方の決定…会議によって異なりますが、何かしらこのような目的をもって会議は開催されるわけです。

ところが、会議が進むにつれて「そういえば」とか「思い出したけど」みたいな形で、各人が思いついたままに話をしだすケースがあります。

その内容自体は非常にためになるものであったり、参考になる話であったり、うなずきながら耳を傾けることも多いです。

しかし、よく考えてみてください。

その話、今の会議に必要な話題でしょうか?

その話をすることで、この会議にどんな効果がもたらされるのでしょうか?

その話は、会議の目的に沿った話題でしょうか?

「そもそも」、その会議の目的は何だったでしょうか?

先日も下記投稿で書きましたが、会議ではマインドセット、目的確認が大切です。これができているかできていないかで会議の有効性は大きく変わります。

定期的な「そもそも」の振り返りを


会議冒頭でこの目的確認をしたはいいものの、議論が進むとつい盛り上がって、確認したはずの目的が見失われることが往々にしてあります。

ですから、ぜひ会議の途中途中で「そもそもこの会議の目的は何であったか」ということを思い返したり、あるいは実際に発言も行いながら軌道修正する、ということをやってみていただくのがよいと思います。

これを行うことで「あぁ、この話はいまするべきではないな」「別の機会にこの話はしよう」という風に議論が整理され、目的にフォーカスした議論ができるようになります。

様々な場面で「そもそも」を考える


仕事の側面からこの「そもそも」を考えてみましたが、これはいろんな場面に当てはめることができると思います。

・「そもそも」今の勉強は何のためにやっているのか?
・「そもそも」自分は今の活動を通して何を達成したいのか?
・「そもそも」自分は親として子供にどうあってほしいのか?

例を挙げればきりはないですが、要はこの思考プロセスを経ることで目的により合致した手段を都度選択し続けることができます

目的は必ず達成すべきものであり、そう簡単に変えることのないものですが、手段はそうではありません。目的達成のために変更する必要があるなと思えば柔軟に変えていける、というか変えていかなければいけないものです。

この「目的」と「手段」の混同は、よく言われる話なので耳にタコな方も多いと思いますが、混同している自分に気づいていないことがあります。無意識って怖いですね。

人間はぶれやすい生き物ですから、自分を過信せずに、今一度「そもそも」に立ち返ってみる習慣をつけてみてはいかがでしょうか?

~編集後記~
・ペン字
・畑にイチゴの収穫に。6つほどいい感じに熟れたイチゴが取れました
・図書館で書籍を借りました。直近話題の本は買うしかありませんが、古典など変わらず学べるものは図書館を活用したいですね

韓非子が分厚くて悪戦苦闘中






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