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「マウントを取る」?

【他人を支配するということ・他人に支配されるということ】
あくまで自分の場合は、だが。自分は、この年齢まで「マウントを取る」「マウントを取られる」ということが、まるでわからなかった。自分ではマウントを取るとか取られるなんてのは、そう勘違いされることはあっても、したこともなければされたこともない、と、感じている。

【「嫉妬」への対処?】
ついでに言うと、嫉妬というものを感じたことがなく、他人に嫉妬するという感情がどう言うものかわからない。

【知識としては知っている】
マウントも嫉妬も、そう言うことがある、ということは知識として知っているが、自分がそう言う感情を抱いたことはまるで覚えがない。きっと、なかったか、あってもたいしたことがなかったんだろうと思う。おそらく、私の親は私をそう育てたのだろう、と思うし、私の親も、そういうことが気になる場所にはいなかったんだろうな、と思う。

【他人をリードするための読書】
戦前の有名な政治家で凶弾に倒れた「井上準之助」という人がいるのだが、この人は読書家で、毎日すごい量の読書をしたという。ある人が彼に「なぜそんなに読書をするのか」と問うと、彼は「他人をリードするためだ」と答えたという。考えて見れば、政治家というのは自分と他人との関係、特に支配する、支配される、という関係をいかに構築するか?という仕事でもある。であれば、私などがする読書:「単純に面白いから読む」という読書ではなく、このメンタリティを踏まえての読書という行為がある、というのは、納得できる話だ。

【他人を基準に自分を考えない】
自分にはこの「他人をリードする」という感覚がもともとないのだな、ということなんだね。逆に言えば「他人にリードされる」のも、なんとも思わない。どうでもいい。ただ自分が興味あることに集中ができればそれでいいんだな。良く勘違いされることがあるんだが、そんな感じだよ。要するに、自分のすることは他人を見て決めているわけではない。他の多くの人が役に立つように、とは思うけれども。

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