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「昭和」の残照

【「豊かさ」が見える?昭和レトロ】
「昭和レトロ」が流行っている。現在20代~30代の人間にとって、今は生きていくだけで将来が見えない大変な時代と感じられているはずだが、その両親や祖父母が昭和に若い時代を生きている。目の前の昭和を生きた人たちの立ち居振舞いや持っているものなどに昭和という時代の「豊かさ」が見えるのだろう。父母が尊敬しにくい人であっても、その態度や考え方などから垣間見える昭和という時代の「豊かさ」は、なぜ自分達はそこに産まれず、今、この苦しい時代に産まれたのだろう、という思いをどうしても強くするのかもしれない。

【昭和とは】
昭和の可愛いデザインのレコードプレーヤー。昭和のごつい高級オーディオ機器。燃費は悪いがカッコいいクルマ。スマホはおろかインターネットも普及していなかった時代。友達との駅での待ち合わせに遅れそうになるだけで大変だった。時間に来れなかった仲間の家に駅の公衆電話から10円玉をいれて電話して、必ず誰かいるであろう(多くは母親だが)ご両親に、友人が家から何時に出たか確かめると、駅にある「伝言板」に「XXの店にいる。店の電話番号XXX-XXXX」と書いておく、などしたものだ。いまなら、お互いのLINEで「いまどこ?」である。

【みんなが豊か?が、当たり前】
その時代が産んだモノの断片から、あるいはその時代に生きた人の立ち居振舞いから、その時代の「香りの良い空気」を嗅ぎとり、今の自分がいる場所と比較し「そんな時代がすぐ前にあったのだ」と思う。自分には来ないことはわかっている「昭和」の断片を目の前に「またその時代がやってくる」ことを願う。その瞬間を、照明を抑えたスタバの店内でスマホの少なくなった電池を気にしながら待つ。

【豊かに見える「韓流」】
もう20年以上前から、なかなか衰えない日本の若い世代の「韓流」への憧れも、おそらく似たようなものだ、と、私は感じることがある。昭和への眼差しと、韓流への眼差しは、重なって見える。

【「豊かさ」への渇望】
いまここにない「豊かさ」がそこに感じられる人が多いからこそ、それは、スマホさえなかった時代ではあっても「流行」になる。それが昭和というキーワードに込められている。

【前を向けと言われても】
身体の衰えを感じていく世代からすれば「こっちなんか見てないで、前を向け」と、思わず言ってしまう人も多いのかもしれないが、おそらく数千年の日本人の歴史のなかで一番豊かだったと多くの人が感じたその時代の記憶は、世代が変わっても簡単には消せないのだ。たとえ今より不便でも。

【明日は必ず今日より良くなる】
実際、昭和に成長期だった私は、今日よりも明日が必ずよくなる、今年より来年は必ずよくなる、と全員が強く、当たり前に思っていたのを思い出す。しかし、私の息子や娘の世代は、産まれたときからそういう時代に触れたことさえない。そんな世代が、目の前に旧時代の眼も眩むような、精神にも骨の髄にも染み込んだ豊かさを、その断片でも目の前に見せられれば、それは砂漠の砂の中に見つけたダイヤモンドのように見えるのかもしれない。

【ガラス細工のイミテーション - 昭和の景色】
しかし、そのダイヤモンドは拾って調べてみると、ただのガラスのイミテーションかもしれない、ということには、思いを至らざるを得ないのが、その世代を生きた人間の一人としての本音だ。景気の良い地域の空気は悪く、学校では「光化学スモッグ注意報」が出ると、全ての教室の窓を閉めた。公害訴訟も多く、クルマに乗っても渋滞だらけでまるで駐車場のようだ、という高速道路も何度も見た。何を犠牲にし、今日よりも明日が良くなると信じたのか?この目で見てきた昭和は、やっと、石油ショックあたりから終わり始めた。

今が一番良いとは思わないが、過去が良いとも、断言はできない。今より自分は若く少々体力はあったけどね。

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