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デジタル社会を支えるIT技術者の今

【もう引退。。。できない】
華々しく語られる、GAFAなどの現在のデジタル化され、ITを駆使して短期間に経済の中心に躍り出た大企業。その中核は、経営者だけではない。経営を根本で支える人材。その最も重要なところには「IT技術者」がいる。いま、IT技術者は高齢化しており、多くのIT企業を支えているのは60歳以上の高齢者である、と言うと、驚かれるだろうか?実はそれが事実である。

【米国の某有名企業の話】
誰が聞いてもその名前を知っている、と言う答えが返ってくるであろう米国の某有名企業でも、事情は同じだ。コロナになる少し前、日本の某社の知人がその企業を訪問し、その企業の中枢となる技術者集団の部署に行ったところ、なんと若い人はあまりいないので、驚いた、ということだ。実際にプランし、手を動かし、モノを作っているのは、みな60歳代以上の技術者ばかりだった、という。そして、その知人も「自分ももう引退の年齢と思っていたが、まだまだ頑張らなくては」と、思い直したという。

【それでも「働かないおじさん」はいる】
一方で「働かないおじさん」問題、というのが日本では良く語られる。しかし「おじさん」がみなそういうわけではない。日本でも多くのおじさんは「働きたくても働く場所がない」のだ。求められなければ働く場所はない。その人の実力ではなく、そのときの環境に乗って役職を迎えた人はおそらくそうだろう。そういう人のほうがおそらく平和な日本では多い。しかし、技術者は実際にモノを作れる実力が全てだ。おじさんも「働かないおじさん」が全てではない。

【デジタル社会を支える「高齢技術者」はなにが違うか】
黙々と、できないことを「できる」に変えることができる人材。そんな人材を作るためには、一朝一夕ではできない技術の蓄積、測定器などのツールがふんだんに使える贅沢な職場環境が必要だ。贅沢といっても、飲み食いや別荘を買う、などの贅沢ではなく、仕事の贅沢だ。そしてその贅沢な環境で自ら技術を作り出し、習得していく、ということが必要だ。IT技術者に限らない。例えば、製鉄の技術者は製鉄会社でしか生きる場所はないし、そこでしか技術を切磋琢磨できない。実際に製鉄を行う機械を触り、設計し、作り、動かし、不都合なところを直し、再び挑戦する。そんな設備は個人では持ちようもない。そんなところでしか、製鉄の技術者は育たない。簡単に言えば「お金がないところでは技術者は育たない」。これはあらゆる技術に言える。ハードウエアを作るのにハードウエア開発に必要なものを「贅沢に」揃えたら、もちろん、個人で賄い切れない金額になる。

かつて、日本の企業で高度経済成長期に活躍し退職した高齢の半導体技術者や製鉄技術者が多く中国企業などに雇われたことがあった。試行錯誤にかかる多大な投資をすっ飛ばして、より確実な製造業への投資を考えるのであれば、当然、それが近道だからだ。つまり「経済安全保障」を言うのであれば、高齢の退職した優秀な技術者をなんとか無理なく国内に留める政策が重要だ、ということでもある。高度な技術は文書には描けない部分が多々ある。だから技術は「情報」ではなく「人につく」ものにならざるを得ない。だから、高度な技術を地域に留め置きたいのであれば、高度な技術を持った技術者を大切にするしか方法はない。

【景気の良かった時代に育った技術者は宝だ】
いま、高齢の技術者は、そんな「豊かな、お金が仕事に十分にかけられる時代」に技術を切磋琢磨して来たのだ。不況が言われる世界にあって、実はそういう技術を持っている人間は貴重、ということになる。経験の少ない若い技術者では数日かかるトラブルシューティングを一瞬で終わらせる、などの「ワザ」はその贅沢の中で育ったものだ。ということは、今の若い技術者は数十年たっても、追いつけないことだってあるだろう、ということだ。

【若いIT技術者が目指すところは】
実際、いつの世の中でも「できるやつ」と「できないやつ」がいるのは、見ての通りだ。今の若い技術者でもその差は歴然とある。そして高齢者にも「できるおじさん」と「できないおじさん」がいる。その「できる」で括った積集合である「高齢の(実経験の多い)できる技術者」は更に人数は少ないが、確実にいる。今の若い技術者にはここを目指して欲しい、と思う。「若き天才」は、目指してもなかなかなれるものではないうえ、ほとんど夢のように、私には見える。である以上、目指すのはそこしかない。

【若い人間の「体力」をなにに使うか?】
若い人間の「体力」はもちろん高齢者に勝る。体力に任せて、行く場所はどこにでも行けるだろう。しかし、行く場所を間違えては意味がない。若い技術者の体力は「できる技術者」を目指すためにある。今の若い技術者が高齢者になって、そこでやる仕事がその人の評価になる。若い時は他人の評価を気にせず、今はそれがなにか全くわからないだろう技術の最先端に挑んでもらいたい、と思うのだ。そしてそのためには「贅沢な環境を選べ」ということだろう、と私は思っている。

【若い技術者や研究者だけがITをしているわけではないが】
いろいろと、自分の周囲なども見ていると、若いIT技術者はいずれも「修業中」の人が多い(若いのだから当たり前だ)。当たり前だが実世界で使うに耐えるアイデアとか仕組みは、明らかに高齢の技術者のほうが優れている。しっかりした仕事が短い時間でできる人が多い。また、世の中に受け入れられる新しいもの、というものも、どちらかというと高齢者のほうが社会経験が長く、作るのは上手い人が多い。やはり経験による効果は大きい。しかし、高齢者は体力が衰えているうえ、この先、いつまで仕事ができるかもわからない、という不安が大きい。事業として考えると、別の言い方をすれば「継続性」に不安がある。かといって、継続性だけに重きを置けば、実用的で新しいものはできてこない。継続性、というのはつまり新しいことをするのではなく、古いことを継続的にする、というところから出てくるからだ。結果として「若い人間の新しい発想で」は幻覚で終わることの方が多い。

【老若のチームが最も稼げる】
これからの高齢の技術者は、優れた後継者を見つけ、新しい時代に合ったものだけを選んで若い有望な人材に技術を渡して行く、という役目があるのだと、自分は思っている。そして、いまの時点では明らかに多様な年齢層の技術者の集団が「最も稼げる集団」になる。「(経験豊富な仕事の贅沢をしてきた)優秀な高齢者」と「(体力と吸収力で勝る)優秀な若者」の掛け合わせなのだから、それは当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。

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