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AIは人間社会の裏側にあるものを表に強引に引っ張り出す。

【AIが作った資料の責任】
たとえば、Excelで作った表をPowerPointで使い、新事業のプレゼンテーションを作って新規事業を社内でやるとする。しかし、事業がその表で使う数字が、関数が出す数字が違うために、おかしなものになったとして、事業失敗しても、その責任はExcelにもないし、Excelを作ったMicrosoft社にもない。その資料を作ったあなたに責任は帰せられる。ChatGPTなどの利用も同じことだ。だから、便利な道具を使わない手はないが、責任はそれを使った人、使うと判断した人が取れば良いのでね。

【社外にイラストを発注した】
何かに使われるちょっとしたイラストをAIに描かせて「楽をした」「経費を削減した」としよう。イラストを外部に発注することなく、社外に出す資料をそのイラストで作った場合、そのイラストが女性差別などの問題を引き起こしたとすると、その責任は資料の発案者に帰せられる。イラストを描いたAIには責任はない。

【クリエイターの仕事の範囲】
イラストを描くクリエイターの仕事とは、所詮、その程度の責任の仕事だったのだが、一方で社外に出す資料を作る責任者が誰にイラストを発注するかでその人の進退が決まる、という責任をその人は負う。であれば「あなたはこんなイラストを入れてほしい、とは言うが、こういう問題が起こり得るので、違うイラストがいいですよ」という経験に基づいたアドバイスができるクリエイターに仕事を頼む方が、発注者のリスクが減る。発注価格の増加は保険料のようなものになる。逆に言えば、そういうことができない、言われただけのことをする、というクリエイターは、AIで仕事を失う。

【発注者も同じこと】
また、発注者も、この仕事をAIに頼むか、クリエイターに頼むか、という判断に自分の今の仕事の進退がかかっていることを意識しないといけない。それがわからない発注者はいずれいなくなる。

AIはその「回答」を従来よりもすごく速いスピードで出してくれる。

AIは有能なアシスタントで便利な道具だが、利用責任は全てそれを使って得た結果を使うあなたにある。

【Aiに奪われる仕事、ってその程度のもの】
あなたの仕事がAIに奪われるのであれば、その仕事は「その程度の仕事」だったのだ。また、発注者の責任はさらに重くなるので、発注者はAI利用には慎重にならざるを得ない。発注する仕事の内容の隅々まで分かって、AIを使うか人間を使うかを決める必要がある。そうでないとその判断がその人の進退を決めることがあるからだ。

【AIがあなたの仕事の価値と責任を明確にする】
AIがあぶり出し人間社会から排除するものとは、人間社会にこれまであったが、あからさまに表現されていなかった、隠されていたBull-Shit-Jobである。あなたの仕事に、本当に価値があるかどうかが試されていると言って良い。

「こんなに一生懸命やっているのに、自分の仕事の価値って、この程度のものだったのか」

あなたはそれをAIによって、はっきり知る。良かったではないか。それを知ったら、もっと価値のある仕事をしようと努力すればいい、ってことがわかる。今と同じ仕事をダラダラ続けていたら、あなたの人生はどうなっていただろう?

【「価値」が全てでもないのが人間社会】
ただし、AIの出現で、人間の社会とはそういった「価値」だけで全てが測れるものではない、ってことがはっきりわかるようにもなるだろう。

【戦争より平和がいい】
今日という日がダラダラと平和に終わる方が、いつも命の危険のある緊張感だけしかない戦場よりも人にとって良いことだ、というのも、さらにはっきりするだろう。

言い換えれば「人とは何なのか?」を再び考える時期が、人間全部に来たのだ。

【AIとは「人間のようなもの」だから】
AIが人間社会に突きつけるものとは、実はそういうことだ。人間とはなんだろう?それを人間に近い、人間が作った人工物で確認する。その時が来たのだろう。

それは、私たちが生きるために、毎日の生活や仕事の場で心の底に押し留めて省みることを、あえてしてこなかったものだ。いま、数百年間、強力な力で押し留めていたパンドラの箱が開く。人間自らの長い歴史が、生きるために閉ざしてきたその箱の鍵。それが「AI」なのかもしれない。

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