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人工知能はなぜ「割高」になるのか?

【現在の人工知能の「元」はディープ・ラーニング】
現在の人工知能の技術の元は「ディープ・ラーニング(Deep Learninng)」
という技術であっることはよく知られている。この技術は、大量のデータで統計を取り、その統計データを元に「次のアクション」を予想する、というものなので「なぜそうなるのか」を考えて動いているわけではない。人間が日々の仕事や家事などをこなすように「これまでこうだったから、今後はコレで行けるはず」という「結論」を元に自らの動きを決める、という仕組みだ。

【なぜいまさらこの仕組が流行るのか?】
なぜ、いまさら、こういった仕組みが流行るのか?というと、ハードウエアの発達で、非常に速い計算スピードで大量のデータの統計を一瞬で出せるようになったからだし、その元となる大量のデータを溜め込むメモリなどの記憶装置も、非常に素早くデータを書いたり読んだりできるようになったからだ。しかも、これらのハイスピード・大量なデータを扱える仕組みが、劇的に安価になり、30年前なら数億円したものが、いまなら数千円で手に入る、というようになったから、研究者などの道具ではなく、一般庶民がその道具を目にする機会も使う機会も多くなったからだ。「スピード」「容量」「コスト」が、進化したから、ということだね。

【しかし「学習」が必要なことに変わりはなく】
とは言うものの、大量のデータを人工知能システムに読ませる、という作業はいぜんとしてあるし、そのデータをどのように解釈して統計を取るか?という問題は残る。そこには大量の時間も労力もかかるし、プログラマの腕の見せどころ、というところだ。

【人間と比較してみよう】
人間の場合は、何も知らない子供の頃から様々な「学習」をしている。例えば、「赤い色」を「赤」と言う単語で表現する、というのは、まず、言葉というものがあって、「赤」という単語があって、その言語の中の「あか」と呼ぶ規則があって、当然、赤以外の単語も実物の色と対比させて覚えていて、というような、結構複雑な過程で私達の頭は「学習」し、現実の世界に対応させている。そして重要なのはここだが、この「学習」と、学習した結果の「応用のやり方(これも学習で得る)」などなど、これらのものを全て人間の社会生活の中で、親などから得て、人がやっと「人」になる。私達人間にとって「学習」と「学習したものの現実への適応」というのは、つまりそういうものの膨大な積み重ねで出来ている。

そういった知識というデータの、ものによっては、人間一代では収まらないものの蓄積の結果、というものもある。つまり歴史がある学習データさえ世の中には存在するのだから「人工知能を人間のようにする」には、複雑で膨大なものが必要になる、ということが、なんとなく想像できるだろう。

【人工知能は人間ではないから】
人工知能は人間ではないので、産まれたそのときにはデータは空っぽだ。学習の結果データもない。しかし、これらのデータは人工知能を使おうとする人間が、業務で(つまり業務でかかるお金を払って)、人間のように動くものを作る、という必要がある。単純化して言うと「人間の学習は企業などの財務諸表には載らない」けれども「人工知能の学習は企業などの財務諸表に載る」。だから、研究の活動などの高度に知的で経験も多く必要とする業務を人工知能にやらせようとすると、膨大なお金がかかるので、既に膨大な学習を済ませた人間がやったほうが(財務諸表には学習にかかるコストは組み位入れられないので)安い、ということになる。

【人工知能ができること】
つまり、人間が人工知能にやらせて効果があることは、かけられるお金が限られる以上、データの量だけから言っても人間の動きの補佐程度のことしかできないし、人工知能を人間のようにしようと思うと、現在は想像も付かないコストがかかる、というわけだ。SFなどではよく「人間のような人工知能」が出てくるが、その全てが実現出来ないのは「コスト」によるし、SFなどの創作では、普通は「コスト」は無視される。まぁ、想像の物語なんだから、それでもいいっちゃいいわけで。「お金」の話をすると、突然「現実」になるわけだからね。SFにはならないよなぁ。

夢のような人工知能を語るそこのあなた。コストを言え、コストを。とか思っちゃうわけですね。そういうシステムを作ってきた自分が言えばね。

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