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製造業は一日にして成らず

【円安・円高が。。。】
このところ、日本円が安い。この1か月ほどで、かなり円が下がってきた。これが日本の経済に悪影響を与える、好影響を与える、などの議論が盛んに行われているけれども、実際の製造業の現場ではなにが起きているのだろうか?

【1ドル=360円から50年】
とは言うものの、日本は第二次大戦後に限っていえば、敗戦国として、非常な円安からスタートした。1ドルが360円という今では考えられない時代があった。当然日本の産業は弱く、なんとか戦後復興をしていかないと日本国民が食えなくなる、という状況だった。そこで、長い時間をかけて、製造業を育成し、なんとか「1ドル=100円前後」という水準まで行った。このあいだ、ほぼ50年の歳月がかかっている。

【円高になったとき】
結局、日本の多くの製造業は1990年代後半の1ドル=100円台を迎えたとき、製造拠点を中国、台湾、マレーシア、などなど、日本国外の土地代も人件費もより安い地域に移した。このときは「産業の空洞化」と言われ、日本という地域の製造業の先行きが不安視された。そして、米国でも同じことがそれに先んじて起きていた。その甲斐あって、日本の製造業各社は世界市場で生き残った。日本国内から製造拠点を移しにくい事業では、今で言うIT化・DX化が進み、日本人の世界的に高い人件費でもなんとか採算が合う体制を整えた。既に30年前、私は日本の名だたる製造業の某社で、広い敷地の工場内を自律で動き回って、資材や工具を運んで回り、人が目の前にいれば通り過ぎるのを自動で待つロボットが動いているのを見た。コンピュータで動く自動倉庫も日本メーカーが先を行っていて、世界にそのロボットが売れた。当然だが、その時点ではそんな仕組みは秘密の塊だ。企業の外には出せない「秘密」だから、企業ジャーナリストなどにも情報漏洩は全くない。だから、一般の人が知らなくて当然だったわけだが。

【企業はその時々によって】
結局、民間企業は「地域」を意識しない。自身の生存のために、お金になればどこへでも行く。生産拠点が共産圏だろうがなんだろうが「より売れるものを安く製造できれば良い」のだから。そして、それは実際に1990年代後半に起きている。当然だが「円高」が「円安」に変われば、今度は逆方向に同じ事が起きる。ただし、1つだけ「制約」がある。

【製造業には工場が必要だ】
結局、製造業は「今日、円安(円高)が円高(円安)になりました」と言っても、生産拠点を1日で移す、ということはできない。工場をどこに作るか、などの計画を立て、必要な機材や人を集め、部品などの納入経路を確保し、出来た製品の出荷の体制も各方面への様々な手続きを行い整え、。。。とやっているうちに、どんな小さな工場でも4か月以上はかかるのが普通だ。大きな工場になれば、工場が正常稼働するまでに1年やそれ以上の年月がかかる。しかし、民間企業は「必要な利益を得るため」には非常にタフだから、それを乗り切る。しかし「時間がかかる」。工場の生産ラインを短期間で別の製品の工場に入れ替える、という技術も国際的なプラント会社などで多く工夫されているが、どうしても限界がある。例えばA社のスマートフォンを作っていた工場はB社のスマートフォンも短期間で作ることができる。しかし、化学製品を作る工場がスマートフォンを作る工場に変わる、ということはできない。全く別の工場や全く別の人員が必要になる。解雇や募集、工場立地の検討なども違う。

【「急激な」が問題】
結局、民間の製造企業は「円高」「円安」が問題なのではない。どちらにしろ、生き残りをかけて、そういう環境変化には対応してきたし、これからも対応できるだろう。しかし、その変化が「工場を移転したり作り直したりする暇も与えないほど急激に起きる」ことが大きな損失を産むので、そちらのほうが問題なのだ。企業の財務部門にしてみれば、この先、長く同じ状況が続くのかどうかを見極め、長く続きそうであれば工場の移転を考え、工場移転の計画を立てる。短期間に元にもどりそうであれば、その間、企業の持つお金が続くかどうか、損失と留保金を検討し、足りなければ借り入れでしのげるか?借入金を返済する見通しがその先で立てられるのか?などを見極める、ということになる。

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