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「あの人はできるのに、私にはできない」のはなぜか。

【「撮り鉄」の素晴らしい写真を見た】
togetter.comを見ていたら、いわゆる「撮り鉄」の方の素晴らしい写真を見る機会があった。あくまで自分個人の評価ではあるけれども「鉄道」というベースに流れるテーマに、映画の物語の一場面を切り取ったかのような「物語」を載せて、そこに写っている「人間」の個々のドラマさえ垣間見える。自分はこういう写真が好きだ。

【撮り鉄の勘違い】
そして、上記のサイトで見た他の「撮り鉄」の人の行動には、正直失望した。

撮り鉄に限らず、そういう傾向が最近は増えているんだが

「目の前のあなたにできるのに、私にできないのは、意地悪されているからだ(なにか違う悪意が働いているからだ)」

という言説が増えているんだね。

【「能力のある他人」と「能力の無い自分」を見せつけられるとき】
ネットの普及で「自分ではできないことをやっている人」を、ネット以前よりも多く見ることになった。それは誰でもそうだし、私でも同じだ。たとえば、私は料理はからっきしダメだが、クックパッドなどでの創意工夫に溢れた料理を見ると、正直なところ、その人と自分の差を見せつけられる。「あそこまで自由自在に料理ができたらいいのに」とは思う。それができない自分をもどかしく思う。

【「能力のある他人」と「能力の無い自分」はどこが違うか】
「自分ができないことに引け目を持っている人」が、学習も訓練もなしに「あなたができることが自分ができないのはおかしい。同じ人間なのに」と思う。そういう人が増えたように思う。

本当のことを言うと、

1.人には「素質の差」がある。
2.人には「運の差」がある。(親ガチャみたいな)
3.人は訓練や学習で能力を高められる。

であることに、昔も今も変わりはない。

そして「1+2+3」で、人の能力の差ができる。

「1+2」が自分には無い、と自覚するのであれば「3」で挽回できることもある。できないこともある。それでもできないときは「しょうがない」のだ。なにかが足りないからだし、自分に足りないものが見えないから、攻略のしようもない。別の言い方をすれば「向いていない」。そういうときは潔く、その分野のことはあきらめるのがいい。

どのみち「手っ取り早く高い能力は得られない」ってことですね。

【能力の高い人は「1+2+3」の値が高い】
そして、冒頭の方の写真は「この写真は感じるものがある」と多くの人に言わせる魅力がある、ってのは事実だと思う。おそらく「1+2+3」の値が高いんでしょうね。羨ましい。

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