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「スマホ嫌い脳」はなぜ産まれるか

【時代と共に「新しいもの」が変わる】
携帯電話の時代には「ケータイ脳」。スマホの時代には「スマホ脳」。ゲームばかりしていると「ゲーム脳」。人間の脳は、その都度、その身体が置かれた状況で、より良く生きていけるように最適化して変化するものであって、今の若い世代の多くは「スマホ」の情報の中に、より良く生きていくための情報がある、というだけの話。

【見えない違う環境に憤るな】
より古い世代が「うちの子供は毎日スマホばかり」というのは、世代毎に違う環境がそれぞれにあるだけの話なんだな。それが自分の目の前の親しく毎日接する人間にあると、同じ場所にいる「生活共同体」のメンバーとして、意思の疎通に支障があるか、その予感が出てくる。それを「ついていけない」と、表現しているにすぎない。

【目の前にいなくてもいい】
今という時代は同じ場所を長い時間共有していても、グローバル化して、かつ「見えない」意志疎通のための通信手段が、当たり前に、安価に使える時代なんだから、目の前のその人が、自分と同じ場を共有しているとは限らないし、同じ場の共有をしていなくてもその人は目の前にいる。逆にその人が目の前にいなくても、たとえ地球の裏側にお互いがいても同じ場が共有できる。そういう通信のための道具がある。

【20年で起きた変化についていけ】
そういう通信手段が当たり前に目の前に存在する時代だが、それはつい20年前には考えられなかった。それが「人間の共同体の構成の世代による感覚の違い」を作る。

【高校生の息子と家族】
家族での夕食の時に高校生の息子が家族との夕食を食べながら、学校の仲間と明日のホームルームでの議題について打ち合わせをすることが「できる」。だから、忙しくて時間がない、となれば、それを「する」。それができなかった時代ではなくなった。そのうち、高校生の息子は、目の前の家族とのコミュニティよりも学校の仲間のコミュニティが大切な時間も過ごすことになるだろうし、そのコミュニティに問題が起きれば、また家族というコミュニティに頼ることもあるだろう。時間の流れが、柔軟にそれに当事者という人が対処することを求める以上、人はその時間の流れのなかで、最適な振る舞いをして生きていく他はない。この場合、変わらなければならないのは「家族」の、成り立ちであり、昔のスマホのなかった時代に戻ることではない。それはできないからだね。

【急激な変化を作る道具】
若い世代の多くは、スマホの中にある情報や、それを使ってやり取りされる情報も使って、自らの行動を最適化して生きていく以外の道はない。そのスマホの中にある情報も、短い間に多様化して、かつ変化しているから、間髪を置かずに、具体的な行動変容を見る前に、次の行動の準備を始めなければならない、などが起きる。さらにその行動に至るまでの情報の取得の行動が、スマホの向こう側で行われているので、目の前にいるこの具体的なコミュニティ(例えば家族)の構成員には「見えない」。

【グローバル化せざるを得ない】
今は、スマホという通信機器があるので、人間のコミュニティそのものが変化して、それに最適化されなければならないが、人間の脳の回路の変化は遅い。だから、こういう齟齬がコミュニティの構成員の間で起き、その齟齬を、スマホがなかった時代のコミュニティに最適化されながら、新しいものが使えない世代の人間が、その道具による見えない人間関係の変化の速さに異議申し立てをしている。それが「スマホ脳」という表現になっているんだね。

面白い時代になったよなぁ、と、それを作ってきた一人である自分は、思っているだけだ。そして、これからも、どんどん変化を作り出すことにしている。

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