子供は全てを見て自分を作る。
【子供になにを】
子供への教育、それにかかるお金、なによりも、親から子になにを与えることができるのか?など、子育てには問題はやはり多い。子供の一番の教育は「環境」しかない、と、私は思う。
【勉強ではなく勉強する環境】
学習塾などの環境に子供を放り込めば、同じような環境の子供たちがいるのが当たり前の社会だと思うだろう。しかし、家庭教師を付けて学習するのがクラスメートの友達の全部だとしたら、社会とはそういうもので、教育とはそういうものだ、というように、子供は全身でその環境に適合して生きることを学んでいくだろう。
子供という存在は、置かれた環境が全てで、そこで生きる他はなく、まだ確固たる自分を持っていないから、柔軟にその環境の「全て」を受け入れ、我が物とするのに一瞬の躊躇もない。
であれば、子供に親ができることは、できるだけ親が好ましいと思う環境に子供を置くことでしかないはずだ。
【夫婦喧嘩のある環境】
例えば、夫婦喧嘩の絶えない夫婦のもとでは、子供は人間社会とはそういうものだと全身で受け止めて育つだろう。その環境に置かれた子供は、人は所詮は争うものだ、ということを全身で受け止めて、自分が眺める他人もそういう目で見る。つまり、他人への全幅の信頼を持たずに大きくなるだろう。それは子供の将来に、良い影響も悪い影響も与えるだろうが、信頼をもとにして生きなければいけない人間社会の多くの場では、良い影響はあまり無いかもしれない。
【全て明確で徹底しよう】
そんなとき、親ができる子供への最善の方策は、夫婦喧嘩を禁止することではなく、その原因を深く真摯に探り、その結果がたとえどんな受け入れがたい結果(例えば離婚とか)であったとしても、それを躊躇無く実行することだろう。あるいは妥協を、お互いどこでするかを明確に決め、それをお互いが実行して共に生きていく道を選ぶこともあるだろう。親も大人である以上、人間社会で生きていくために妥協もしなければならないが、それが言葉で表現できるほど明確かどうかは、本人にとって辛いことでも、教育ということで考えれば結果は、より良いものとできる可能性は高いだろう。そして、その全てを子供は「環境」として、自分の脳内に取り込む。これが教育だと、私は思う。
【不明確で曖昧な人間は遺伝する】
ここで、多くの人は子供の教育に挫折する。物事を明確にせずに妥協だけで生きる親を「環境」として子供は取り込む。そして、子供は親と同じ人生を歩む可能性が高くなる。「トンビの子はトンビ」になる。鷹にはならない。
おそらく、教育ってのは、自分が生きること、そのものだな、と思う。
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