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懺悔

【消えない「携帯」】
既にガラケーの時代が終わり、完全にというほどスマホの時代になっているのに「携帯電話」の略称の「携帯」という名称は消えない。世の中のかなり多くの人は、頭の切り替えに時間がかかる、ということなのだが、同時に人は必ず時間と共に老いる。そして切り替えが難しい世代に必ず入っていく。完全な世代交代になるまで、古い言葉は世の中に残る。

【人の頭脳は切り替えが遅い】
若いときから、環境に合わせた迅速な頭の切り替えの訓練をしておくべきだ。とは思うが、できないこともある。豊かで安定した世の中が数十年続いた、戦後の日本と世界には、切り替えができない人も「食える」環境があった。いま、それは消える。

【生成AIとロボットが】
おそらく、生成AIとロボットは、そういう人の「非効率」と言われる「作業」を機械に置き換えていくだろう。頭脳労働や経営なども機械化が進む。かつて「考える機械」と言われたコンピューターと、その手足となる「ネット」が、完全に世の中を変えていくだろう。なぜか?ぼくらがそれを望んだからだ。「ロボット」の語源はラテン語の「奉仕する者」から来ているんだから。未来には「人間がやりたくないと思っている仕事をする機械ができる」って、ぼくらは子供の頃にSFで読んだだろう。その通りにしただけさ。

【「人間とは何か」を問い直す時代】
この未来を目の当たりにしたとき、再び「人間とはなにか」という哲学に、我々は戻らざるを得ない。

手足をもがれ、頭と胴体しかない残酷な「人のイメージ」が浮かぶのだが、それは人間なのか?人間とは本来、どう言うものか?

この時代に我々に突きつけられた問いとは、つまりそんなものなんだろう。と、私は思う。

【元祖IT屋は悩んでいる】
と同時に、正直を言えば、ITという言葉がなかった時代に、ITを始めた自分とは、どういう存在であったのか?という問いと苦悩もまた、背負ったと思っている。私がキリスト教徒であれば、教会に行って懺悔をしただろう、とさえ思う。若い頃とは、はっきりと違うが、若い頃と同じような、しかしより深くて大きな「ウェルテルの悩み」が、どうしても目の前にある自分を感じる。

流れる時代に流されたのではなく、その流れを作ってきた、という自負がある。逆に、そのために「いままで自分がしてきたことの結果」を眼前に見る毎日。本来は多くの人がついていけない速度での大きな変化は、多くの落伍者を生んだ。多くの人の一生のなかでは、ついていけない急激な変化を生んだ。

私は懺悔さえできない。懺悔ができれば、どれだけ楽だろう。しかし耐えている。耐えた上で、さらに明日を積み重ねていく。それしかできないから、それをしている。

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