見出し画像

「レガシーvs.ガーシー」の衝撃

【「ガーシー」の当選】
今回の「国政選挙」での注目は、与党の大勝ではない。野党の負けでもない。「弱小」とも言われた政党の立候補者「ガーシー」こと東谷氏の「多量の得票による当選」だ、と、私は個人的に思う。

【「弱小」でもネットで勝てる】
簡単に要約すると、現状では日本の与党が脅威を感じるほどではないにしろ、今回の選挙戦の片隅で起きた大きな変化は「弱小」でも「ネットで勝てる」という事実だ。そういう意味では他の弱小政党でも、うまくネットを利用しているところも、今回の選挙ではあったのではないか。ガーシーさんは政治のプロ=このところ揶揄されることも多い「政治を職業にしている人」ではない。加えて、選挙運動前に「事件」を起こして、選挙期間中は選挙運動をせず、日本にさえいなかった。もともとマスコミで人気のあるお笑い芸人でもなく、人気のタレントでもなかった。どちらかと言えば、旧来の基準からすると「いかがわしい」と言われることもあったであろう人物だ。しかし、そんな彼に「賭けた」弱小政党があり、彼のスタッフが頭を絞って選挙に挑んだ。彼はネットでの知名度だけをテコに当選した。それだけだ。この事実の破壊力は、レガシーな勢力、言い換えれば「旧政治勢力」にも大きな影響があった、と考えるのが普通だ。

凶暴な目に見えないウィルスを持った小さな蚊がちくっとあなたを刺した。そのときには気が付かないかもしれない。しかし、その影響は大きくあなたを変えていくのではないか。そういうような「大きな変化の兆し」に気がついた人も少しはいただろう。しかし、多くの人は気が付かなかったのではないか。

【人工知能代議員?】
本人という「人」がそこにいなくても選挙が成り立つのであれば、ごく近い将来に「人ではない人」だって、法律が許せば、選挙に出馬し、当選することだってある可能性さえあるだろう。仮想空間上でしか存在しない「人」が選挙に出て当選する、という未来だって考えられる。もちろん、現在の法律ではそれはできないが、もしも、を思考実験して見るのも、一興かもしれない。

【「レガシー」vs.「ガーシー」の闘争】
私は今回の選挙の面白さは「レガシー」vs.「ガーシー」の闘争、という、あまり上手くない洒落で簡単に表現しているのだが、おそらく、これから始まるのは旧来の社会の仕組みに立脚したレガシーな勢力と、若い新たな時代の新たな仕組みに立脚した新勢力との闘争の時代なのではないか?と、最近考えている。そして、それはあらゆる場所で起きている。人間には寿命がある以上、明らかにこの闘争は「新勢力の勝利」で終わるだろうが、更にその次の世代は、その新勢力に戦いを挑む、もっと若い勢力だって出てくるだろう。この「世代間闘争」は、人の社会が続く限りの永遠の宿痾であり、それはこれまでもあったし、これからも続いていき、どの闘争も新世代の勝利で終わるだろう、と思う。レガシーな勢力と新しい勢力がぶつからずに共存できるのは、世の中が安定し、人の一生以上の時間、同じ世の中が続く、という保証がある場合だけだろう。

盛者必衰。諸行無常。

【変わる時代を楽しめ】
時代は変わる。その流れの中にいるにしろ、外にいるにしろ、それを楽しめる感性、というのは、やはり良い人生を送るのに、誰についても必要なのではないか。最近はそう思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?