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「起業」にはこだわらない。「やってみたいこと」にこだわろう

【あちこちで聞こえる「起業」の声】
最近は特に「起業」の声があちこちで聞かれる。起業しなければ、あるいはしないまでも起業に興味がなければ社会人として認められない、というくらいの勢いだ。特に「この人は仕事の力がある」と、自他ともに言われる人は「起業プレッシャー」みたいなものを感じる、と言う人にも出会ったことがある。そんなに「起業」って重要なことなのだろうか?

【起業は「選択肢のひとつ」で「手段」でしかない】
自分も会社を作って仕事をした時期があったから、起業の大変さはよくわかる。いまほど景気が悪い時代でもなかったが、それでもかなり苦労したのは今でも思い出す。だから、起業を選んだ人は応援し、助けたいと思う。しかし、「起業」は、本来は「自然にそうなっていく」ものであって、積極的に「起業」だけが仕事の選択肢として持ち上げられるのには違和感がある。サラリーマンだって、好きなことをして自己実現ができることもある。逆にサラリーマンの立場でなければできない仕事もあるだろう。巨大な設備を使う仕事などは特にそうだろう。なにも起業しなくても「やった!」という充実感に溢れた瞬間を経験できることはある。起業だけがそれを実現するわけではない。

【それでも起業が持ち上げられるのはなぜか?】
この数年、起業を持ち上げる話は多いが、それはなぜだろう?簡単に言えば、それは「地域の興隆」、そしてひいては「地域の政府の税収」に強く関係するからだろう、と、私は考えている。つまり「起業」の「成果」だけにフォーカスが当てられている。

【最初は「楽しい」から始めた】
しかし、MicrosoftもGoogleも、Amazonも、はじめは「こんなことを始めたら面白いのではないか?」という「動機」から、それを誰もやっていなかったので「起業」という手段を選び、結果として大きくなったわけだが、どれも「現在の成功」を夢見ていても、それが実現可能であるかどうか?については「確実」と思っていたかというと、おそらくそうでは無いだろう。「これが成功すれば、世の中を変えられるかもしれないというワクワク」がまずあったはずだ。それに向かって積み上げていく仕事は楽しいものだっただろう、と思う。実際、最盛期のシリコンバレーでも上場する企業は千社のうち3社くらいだった、という統計もある。必ず成功するからやるのではない。楽しいからやるのだ。本来、起業とはそういうものだ。

【しかし世間は「成功」しか見ない】
とは言うものの、起業は失敗するからやる、という人はいない。みな「先はわからないけど、成功の確率も低いけど、楽しいから始めた」のであって、「成功が確実だからやる」のではない。「当たる馬券だけ買えば良い」なんて、誰であっても、できるわけはない。しかし、「当事者ではない人」は、成果が上がる「夢」だけ見る。そういうものだ。

【周辺環境を見てみよう】
いま、日本の事業環境は、かなり厳しい。
ざっと箇条書きにすると、こうなる。

1.給与所得が不況で減っている
2.既存企業の構造改革が進まないので新しい業態がなかなか生まれない
3.日本にはGAFAMのような企業が産まれないことについて政府の焦りがある
4.既存企業の淘汰による新企業への新陳代謝が進まない

結果として、政府も税収が上がらず、政府のリストラもやっているものの、そろそろ限界に近い。政府としても新業態の大企業を作るとしても「起業」を推すしか道はない。

【新事業創成の政府施策は効果がない?】
そこで、政府も新事業創成のための政府施策をしなければならない、ということで、この20年間、日本でも様々なことが行われて来たが、効果はなかった、というのが、現時点での結果だ。そして欧米では既に「国の政府が行うこの手の施策には効果がない」という論文も出始めている。

【新事業は「好きだから始める」】
結論は、こうだ。新事業は、あることが好きで、その好きの実現手段には起業がいい、ということであれば、起業すべきだ。そうでなければ、サラリーマンでも好きなことができればいい。「起業」とはそういうことだろう。「効果」だけを求める「外野」は、おそらくあなたにとって、あまり意味はない。好きなことであれば、たとえ失敗しても充実感が残る。その生きるチカラがあなたの人生を豊かにしていく。投資につけ、援助につけ、その「楽しさ」を共有できる人と一緒にやっていこう。成功につけ、なんにつけ、そこにしか答えはない。

【好きこそものの上手なれ】
ITの仕事を長くしてきた経験から言えること。「好きにはかなわない」。そういうことだよな、と今、いろいろ思い返している。「好き」がなければ結果としての成功への道も細くなる。好きでやる人にはどうでもいいことだけどね。

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