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「デジタル技術」が変える人間環境

【「社会参加」でヒトは生きる】
普通に社会に生きている「大人」は、社会に参加しないと生きていけない。生きていくために、社会に参加する。社会に参加するにあたって、自分と自分以外の他人の間の「自他の垣根」をある程度取り払う必要がある。それが過剰になると「自分と他人は同じだ(同じでなければならない)」という思い込みが過剰になる。この思い込みが一定のレベルを超えると「自分と違う他人が近く(ローカル)にいるのが許せなくなる」ということが始まる。

【「環境」が「感情」を作っている】
おそらく、同じ地球上の同一地域環境に同じ時期に生きている人間の複数の個体は、その地域の同時期の環境に適応しているため、どこかしら似たような個性を持つので、この「過剰な自他同一」は、かなり意識せずに行われている。また、その地域から出たことがなければ、自分の生活する地域を客観的に見ることも、違いがあることもわからない。そのため、その地域から出たことがないヒトは「自分と違う近くの他人は存在を許せない」という「感情」が生まれる。逆に自分と同じ環境で自分と同じと思われるヒトの集団の中にいると生存の安全を得られるのでヒトは安心する。この安心を得るために「正義」という大義名分を作り「不正義」を区別し選別する。「正義」とは「不正義」を作るためにあると言って良いかもしれない。不正義を排除して自分の身の周りを正義のみにすることで、ヒトは社会の中での安心を得る。

【ヒトの生きる環境は時間とともに変化する】
しかし、人の地域の社会を取り巻く環境は時間・時代とともに変わっていく。人の社会が変わらないと生きていけないほどの気候変動があり、人の社会自身が自然の一部である以上、人の社会はその影響も受け、時間とともに変わっていく。

【「高齢者」とはなにか】
この変化の時間をより多く持ち、多くの環境変化に耐えて生き残ったのが「高齢者」である。高齢者はやがて死んでいくから、人の社会は、本来は「多くの若年層」と「少数の高齢者」でバランスを取って社会を長く数千年間構成してきたのだが、ヒト自身の社会で培ってきた医療などの発達や、世代を超えた知識の集積などによって、高齢者の生き残りが大きくなる社会が人類史で初めて出現した。これもまた「ヒトを取り巻く自然環境の時間的変化」の一つである。ヒトもまた自然の一部だから、ヒトの変化も自然の環境の変化の一部であるからだ。

【デジタルがヒトを変えた】
地球上のヒトの社会は、ヒト自身による「デジタル技術」の創出によって、地域的、時間的広がりを、デジタル技術の出現時点前よりも多く持つ社会となったのが現在だ。だから、地域環境が違うヒトのコロニーがより多様な「ヒト」を相手にする必要が出てきた。

【デジタル以前とデジタル以後】
そのため、現状の人間の歴史は「デジタル前」と「デジタル後」の断絶をより多く持つ「移行期の社会相」を持つ。このことをしっかり意識して、環境の激変に合わせて社会の変化を作れないヒトのコロニーが淘汰されていき、新しい「デジタルによる変化に適応したヒトのコロニー」だけが生き残っていく、今はその「旧世代から新世代への交換時期」なのだろう。

【世代間の入れ替わりが始まった】
したがって、この「世代の劇的な交換時期」には、新旧のヒトのコロニーの闘争が始まる。しかし環境は変わっているので、それは旧世代の必敗・新世代の必勝の結論しかない。「環境にあわせて劇的に自分を変えていく」ことができないヒトのコロニーはこれから、短い時間で淘汰されていく。旧世代に属するヒトの個体がこの変化に対応する方法は1つだけだ。

「闘争を諦めて、新世代は自分と違う人間と割り切って、旧世代の残った環境の中で一生を全うする」だけだ。

「自分と他人は違う」を認め、自分と他人が違うことに腹を立てないこと。それが重要な生き残りの方策だ。これができなければ、一生を心地よく全うすることはできなくなっている。

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