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本当の最先端は売っていないけれど

【インターネットの最初のあのときのこと】
インターネットをぼくらが日本に持ってきたとき、周辺の人たちは、同じコンピュータ業界の人でさえインターネットを知らないのが普通だった。同業者でも長い時間をかけてなんとか説明しても、まだわからない、ということもあった。ましてや文系の人たちにそれを説明しても「ふーん」「なんの役に立つんですか?」な状態だったし、そういう人は3日もすれば「インターネット」という名前を忘れていた。

【名前がない=世の中にない】
世の中の多くの人は「名前のついたもの」は認識できる(本当は、知っているつもりになれる)。しかし全く新しいものには名前がないわけで、それはこの世に無いのと同じだ。ものに名前がついて、それが世の中の多くの人が覚えて、初めてそれは世の中にある、ということになるんだな、というのを痛いほど知った。当時「インターネット」は誰も知らなかった。それは「無いのと同じ」だった。

【真に新しいものは名前がない】
新しいものには名前がない。まだ名前のついていない新しいものとは、この世に存在しないものと同じだ。新しいものと関わる、ということは、そういうものを扱うことだ。

【新しいものを扱うということ】
思い返せば「それ」を肌で感じた毎日だった。今から思えば、あまり多くの人が経験しないで一生を終わるであろう、稀有な経験をしたんだな、と、思うばかりだ。その道中にはいいことばかりじゃ、もちろん無いわけだが。そして「名前のないものを知っている」は社会においては少数派なんだな、ということだ。それがよくわかった。

若い頃こう言われた。

【モテない】
キーボードと画面ばかり見ている暗い仕事とか趣味をしていると、女性にモテないよ

いや、自分がモテないのはキーボードと画面ばかりの毎日を送っているからじゃ無いぞ!と、声を荒らげて反論するだに虚しくなる反論はぐっとこらえていたのは言うまでもない。当時は、まさかどの組織でもホワイトカラーの仕事と言えばキーボードとマウスと画面が無いと仕事にならない時代が来るとは、考えもしなかった。小学生まで小さなスマホでそれとは知らずにインターネットを使う時代が来るなんて、思うこともなかった。いつのまにか、そういう生活は当たり前になり、ぼくらも「暗いヤツ」と言われることはなくなった。とは言うものの、自分がモテないのは相変わらずだが、それは別の問題だろう、ってのは十分に認識しているけれども。

【新しいこととはこういうことだ】
しかし最先端と言われる仕事はいくつもしたけれども、また、研究所の仕事も多かったから、新しいものが生まれたところに居合わせたこともかなりある。そういう仕事をしていた。そういう仕事やその成果には普通は生まれたその時には名前がない。名前のないものは世の中に知られたものではない。だから自分のアタマで理解してそれと付き合うしかない。こいつはこんなヤツだろう、という予断や思い込みは一切通用しない。自分のアタマをまっさらにして、一つ一つ理解し、咀嚼し、繰り返し、誤ちも犯し、なんとかそいつと付き合っていくしかない。そうしているうちに、新しい「それ」がだんだん見えてくる。

【新しいものには名前がないから】
よく、イノベーションがどうだこうだ、世の中を変えていくのは新しい発想が、とか言うのだが、その新しいものが生まれた時には多くの人はそれは知らないし、目の前にしてもすぐにはわからないから、どうしようも無い。普通は全く無視するか、頭にたくさん「?」を付けて目の前を去っていくか、だ。多くの人の態度というのは、そのどちらかしかない。お金になるかどうかさえわからない。だから新しいと言えるし、だから人より先行して、その新しいものを知ることができる。

【「面白そう」と思うなら仲間に】
「これ、何だかわかんないけど面白そう」っていう人は仲間になっちゃう。そしてその仲間が集まって、誰も見たことのない世界への冒険をする。このワクワクは、それを最初に始めた自分と自分の仲間だけのものだ。まるで自分たちは「One Peace」の最初の海賊船:ゴーイングメリー号に一緒にいるような気持ちだった。現実に「あの船」というのはこの世にあるのだ、と実感した。そしてその船に乗って、ぼくらは、今ここまで来た。そんな感じがしている。

【誰も見向きもしない名前のないものを始めよう】
新しいことをやると大きな失敗もあるが、楽しいことは多い。やっていることそのものが楽しい。覚えておいて欲しいのは「新しいもの」は、新しいが故に「名前がない」ということだ。逆にいえば、そのくらい新しいものでないと面白くない。名前がないから、多くのお金が必ず儲かるとは限らないし、多くの人がこちらを向くとも限らない。下手な評論家には言わせておけばいい。「なんだかわからないけど面白そうだ」ってのを共有できる仲間と出会い、そこからの航海を始めればいいのだ。

●新しいものが欲しい?じゃあここにある名前のないこれをあげよう。

【「最先端」は売っていないけど楽しい】
新しいもの、ってのはそういうものだ。だから、本当の最先端なものは、どこにも売っていない。いま「最先端」という名前をつけた商品はお金を出して買えるようになっているけれども、それは「最先端」というセールストークをまとった「消費財」である。わかってると思うけど。本当の最先端はもっとぼくらの命をも沸騰させるチカラがあるし、やっていて時間を忘れるほど楽しいし、ホンモノであってニセモノではない。そんな最先端を経験する人生を持とう。

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