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「統一教会(原理研)」と会ったことがあった、かなり昔の話。

今回は昔話。気が付いたことをつらつらと。

【大学生になったとき】

大学生になったとき、原理研=統一教会の勧誘すごかったですねぇ。自分の場合は、もともとそう言うものにかかわる素質が無かった感じがあるなぁ。自分は大丈夫、って言う自信じゃなくてね。なんというか、彼らの大学近くの拠点にも一度だけ連れられて行ったけど、グラッとくることは一度もなかったなぁ。あぁ、そんな人たちもいるんだなぁ、くらいでね。彼らの拠点に入ると、初めてなのに「お帰りなさい」って言うんだよね。すげぇ違和感と同時に、ははぁ、この人たちはなんか違うなぁ、近寄ったらいけないなぁ、目つき違うしなぁ、って思って、以降は向こうも何にも言って来なかったね。ぼくの体質がそう言うのと合わなかったんだろうな。

大学の近くの一軒家だったけど、誘われて行くと、まず玄関から臭い。臭う。後でその匂いを思い出したが、あれはおそらく「誰かがゲーゲー吐いた吐瀉物の匂い」だったんだろう、と後で思った。原理研のある場所に行った後で調べたところでは、原理研では入会後に様々な原理研の情報(教義)を頭に入れるために、それまで頭の中にあった自分を全否定するのだが、そのときの身体反応が「吐く」なわけで、おそらく、その匂いなんだな、と思ったよ。いわゆる「洗脳(Brain Washing)」と言われているものだね。

【あくまで自分の場合は、だけど】
あくまで自分の場合は、だけど。人と同じ、ってのがもともと肌に合わなくて、大学のサークルの活動でも、卒業間際の最後に「え?君はこの大学の学生だったの?違う大学から遊びに来てたと思ってた」って言われるくらい、大学の雰囲気にまるで溶け込んでないのがわかったらしい。そう言われて、初めて自覚した。それまでぼくはサークルの中で自分としては合わせるのにも一生懸命やってたつもりだったんだけどなぁ。なにか違うのかなぁ?って思ったけど、無理して他人に合わせることもなくてね。自覚は全くなかったけどね。だから、他の新興宗教なんかも自分としては興味があって、呼ばれる度に行って見るお人好しではあったんだが、どこでも同じような感じで、途中から相手にされることはなくなったね。だから、いやでも全く自分は違うなぁ、って思ったことはいっぱいあったよ。大学の中でも異分子だったんだな、きっと。なんか悪いこと言っちゃった?オレ。みたいな感じでね。しばらくすると、新興宗教系とかからは、まるで相手にされなくなった。それでも寂しいなぁ、とは思ったこともなく。結果は「我が道を行かざるを得ない」感じで、カッコいいわけでもなく、気取ったわけでもないんだけどね。自然にそうなっただけでね。

【他人と比べない】
前も書いたけど、ぼくは自分と他人を比べることがまるでなくてね。だからなんだろうな、嫉妬って、いくら思い出してもしたことがない。されたことはあったと、思い返せばあったらしいんだが、気にしたことがなくて、その時は全く気が付かなかった。

【自己啓発セミナーも同じようなもの、と思ったよ】
思い出せば、どことは言わないが、自己啓発セミナーにも誘われて行ったけど、初日で辞めた。あぁ、なんか自分が求めてるものとは違うなぁ、と言うね。そんな感じがしたので、初日のセミナーの最後に「明日も来る人手をあげて!」って誓わせるんだけど、僕だけ手をあげなかったんだな。あ、オレ、周りの人と違うなぁ、とは思ったけど、それって自分としても大したことじゃなくって、自然に自分の気持ちを素直に表現しただけでね。周りの人に合わせる、って、自然に拒否しちゃうんですね。実際、翌日会社で仕事してたら「なんで来ないんだ」って電話来たよ。しつこく来た。だから「えー?昨日のうちにもう行かない、ってはっきり言ったよね?」「誘われて高いお金も払ってお伺いしたけど、やっぱりやめた。お金を払ったのはぼくが納得したからなので、返さなくていいからさ」って言っても、なんかしつこいんだな。ちゃんとするべきことしてるよね?だから「そこまで言うんだったら責任者の人ここまで来て説明して。ぼくはあなたの言ってること理屈に合わないから、わかんないから」って言い返したら、以後、全く音沙汰なくなったね。うーん、こういうのって、普通なことだと思うんだけどな。

【「勧誘する人」がわかる】
いや、実はそう言う「勧誘する人」「取り込みたい人」ってのは初対面で瞬時にぼくはわかるので、その場で一瞬で自分の中では拒否姿勢なんだな。むしろそれに相手が気が付かないのは、勧誘で一生懸命な誘った方でね。ぼくは相手に悪いと思うから、自分が気がついた事を相手に気が付かれないようにしてるだけでね。昔からそうなんだな。なぜかはわからんです。自分でも。前述の自己啓発セミナーでも、相手は「取り込みたい」から「自分のフィールドに引き込む」のが基本になっているのがわかるから、わざとそのフィールドから引き剥がして違う環境に引っ張り出す「こっちに来い」ってのはきっとできないな、と踏んでそう言って見たんだな。実際来なかったけどね。でも優れて頭が良くて最高のパフォーマンスができる相手であったら「今から行きます」になっただろうね。それが言える優れた指導者であれば、どんな場でも自分のフィールドに一瞬で変えられるからね。で、短い時間で成果を出せた筈だ。ただし、日本でやっているあの程度の自己啓発セミナーのスタッフ程度では、そりゃ出来なくて当たり前でね。それ見越して言ってみたんだけど、案の定来なかったね。

【ところでコロナ】
ところで、コロナで重症化してICUにいたから、ってのもあるし、亡くなった父も母も医療関係者だったし、って言うこともあったんだろうね、「コロナは茶番」って言う人にはごく自然に同意できないけど、そう考えていた人も自分の身近な若い人がコロナで亡くなると、それは言わなくなったね。その人は今でもそう言う発言はしなくなって久しい。激越な現実を目の前にしなかった人は、本当に幸いだったと思うよ。その幸せが永く続きますように、って実は本気で願っている。現実を目の前にして本物の悲劇を見たことがない人の陰謀論って、実は幸せなことの証なんだろうな。それはきっと、幸せだからそう思えるんだよね。

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