ガチョウ

瓶とガチョウ、






禅問答の中に、瓶とガチョウという、問答を読んだことがあります。








記憶が不確かですが、、



師匠が弟子に、瓶を割らないで、どうすればガチョウを外に出すことができるか?









と問いかけます。弟子は、瓶の口は小さいし、殺してもいけないし、といろいろと悶絶して考え続けます。








答えは、わかりますか?









考えてみてください。








答えは、、、






ガチョウは、もともと中には入っていなくて、外にいたということです。(諸説有り)








何をお伝えしたいかといいますと、、、








自我、自意識から、どうすれば解放できるのか? 自分は根本的に幸せになれるのか?








などの問いかけも、まさしくガチョウと同じだと思います。








自我、自分、私、などは、はじめから、いなかった、いたことがなかった。









自我、自分、私、も単なる思考で、ただ起こっているだけである。誰かに起こっているわけでもなく。








「私はいない」と言われる真意は、こういうことだろう。








幼少期より、思考、感情、身体感覚などにより、それらを統括するか主体を脳の機能により創り上げてしまう。









実際にはない、自我の完成である。分離した自意識の完成である。








そうすると、世の中を分離した個人が生き抜いていくために悪戦苦闘が始まる。









もともといない自我、


もともと瓶の中にいないガチョウ、







同じことである。














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