離婚することにしました。10

年末
2009年12月29日に東京に引っ越してきた。

12月に配偶者の転職先が決まり、年明けには初出勤ということで引っ越しはバタバタだった。
何回移動するの?と笑ってしまうが、数か月後に配偶者は私の地元に転勤した。
当時の私は専門学校に通っていたこともあり、付いていかなかった。
一応、形式上であるが付いていくか否かの話し合いの場は設けた。
配偶者は私の勉強を尊重し、付いてきてもらうつもりはないと言った。
私が判断を下したのではなく、配偶者から結論を出してもらったことと、一人暮らしになることをこっそり喜んだ。

二人の間の決定的な判断を私が下して、後々非難されることはなんとか避けたかった。
二人の間の事で、私は責任を取りたくなかった。
お付き合いしてすぐに遠距離恋愛となったことは幸いし、たまに会うのが心地よかった。
真面目を絵にかいたような内向的な配偶者を当初良いなと思ったのは、私自身が非常にだらしがないからだ。
きちんとした人と一緒にいれば感化されて、いつかは私の思うきちんとした人になれるんじゃないかという、いわば希望みたいなものだった。
「きちんと」は、私を長年縛り付けている漠然とした言葉で、だらしない私を定期的に責め立てた。
だらしなく生きているのが快適だからそうしているのに。
「きちんとしなければいけない」という漠然としたものが定期的に襲い掛かってきて、私は苦しんでいた。
苦しくなるモヤモヤを明確に理解できるようになったのはつい最近なので、当然にこの苦しみについて配偶者に相談していなかった。
真面目な配偶者と常に一緒に居ることは一緒に暮らすことは、更に責められているような気がして息がしづらくなっていた。
別々で暮らすことは、まさに渡りに船だった。

そこからの私は一人暮らしの生活を謳歌した。出掛けたら夜遅くまで帰らず、配偶者がいないことを良いことに学校の友達と飲んだ流れで家で飲みなおして朝を迎えたりとやりたい放題していた。
配偶者の帰ってくる直前だけ真面目に掃除し、まともに暮らしてる風を装った。
学校の勉強がひと段落した2010年9月、ようやく東京で仕事に就いた。
仕事をしながら専門性の高い学校にも通いだした。
毎日が新鮮で、勉強も楽しかった。
今の目の前の仕事と勉強をこなして、クリアできる度に達成感を感じていた。
週末は新しい学校で出来た友達と会ったりしていた。
自分の事しか考えてなかった。

2014年、結婚して既に5年ほど経過していたが一緒に暮らした年月は1年に満たなかった。
私は自分勝手だったこともあり、自分のペースを乱されることをものすごく嫌がった。
配偶者が気にかけてくれている事が嬉しいよりも、一緒に暮らすには別々で暮らすことの居心地の良さに慣れ過ぎてしまっていた。
私は東京での一人暮らしに慣れ、そして世界も広がっていった。
私はなんでも話して聞いて欲しいのだが、私のどうでもいい話に興味のない配偶者は聞いてくれなくなっていた。
私は、配偶者の興味のありそうな話題を用意することに疲れてしまった。
そのころの配偶者は仕事でトラブルがあったのか、用意した私の話を聞いてくれるほど余裕がなかったようだったが、面倒くさくなりそうだから詳しく聞かなかったので何が起きていたかは知らない。
1ヶ月に1度、配偶者は転勤先から東京に来る。
酒を飲んでテレビを見ていれば時間が過ぎる。
昔ほど音楽の話や最近あったことなどますます話さなくなった。
配偶者は非常に酒が弱く、一杯ほど飲んだらいつも寝てしまった。
結婚した頃には既にセックスもしていなかったので、私は一人で夜が更けるまで酒をただ飲むだけだった。
配偶者のいびきが五月蠅くて、一人の方が気楽で良いなと思った。



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