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感情のもとを探る

感情的になってはいけないと、自分も思うしみんなもそう思っているはずと長年信じて疑いませんでした。
まあそれはそうなんだけど、感情的になることを嫌うあまり湧いてきた感情までなかったことにすべく覆い隠すような思考を働かせてしまっていました。
そうすると葛藤が生まれるので、心は千々に乱れているのに頭と顔は「悲しくないですよ、怒ってないですよ」と表現してしまう。
で、苦しい。ていう。

感情的になることと感情を味わうことは全く違うことです。
感情的になるというのは表に出して周りに撒き散らすことで
感情を味わうというのは内側で認識して感じるということ。
自分の感情を味わうことを拒否するって、割とやりがちなんじゃないかなと思います。
特に怒っている自分に抵抗ある人って結構多いんじゃないでしょうか。
怒ってる自分、嫌い、みたいな。
「私はいいけど〇〇さんがかわいそう」とか
「おかーさんは怒っているわけじゃないのよ」とか
いや君完全に怒ってるじゃん。
本人がどういう表現をしようとも、どんなに言葉で覆い隠そうとしても、不思議なもので周囲には本人の意図だけが正確に伝わるものなんですよね。
意図と結果は本当に忠実に現実となって現れます。
怖いような親切なような。

いや君完全に怒ってるじゃんと思われるのはまあまあ恥ずかしいので、じゃあどうしようかって話ですが、
まず湧いた感情は内側でしっかり味わう。あくまで内側で。
で、感じきって味わいきる。
ここがまた難しくて、感じきる味わいきる過程で因果関係を考えちゃったり、自分が好きで作りがちなドラマに当てはめちゃったりと余計な脚色をしてしまうとその感情は育ち熟成されてますます盛り上がってしまう。
違う、ただ感じる。観察するといったほうがしっくりくるかもしれないです。
育てずに観察する。感情が湧いている状態をそのまま肯定する。盛り上げない。
ここまでできっと一苦労なはずですが、うまくいって落ち着いてきたら今度は根っこを探る。
何がそんなに悲しかったのか、何がそんなに腹立たしかったのか。
だいたい過去の記憶に結びつくんじゃないかな。それでも慌てて結論に結びつけずにじっくり探るといいです。
なるべく細部まで探って言語化してノートに書いてみるんです。
きちんと書こうとすると書けないから無駄紙にわーっと書くといいですよ。
取りこぼさず思いつくままわーっと。
これを習慣化すると自分には感情ががっつりあると認められるので、感情が湧いたときにあわてて「違う違う、怒ってなんかない」と自分に嘘をつくことが減ってきます。そして周りの人にも感情があるということも同時に理解できてくるので、そんなこともあるよねと思えることが増えてきます。
客観性ってここでやっと生まれてくるんじゃないかな。
客観的に自分を見ることと、ないことにしてしらばっくれることは全然全然違いますからね、やりがちだけど。

さて、今日も今日とて頭に血がのぼってちょっとは内観しようとしたけど、堪えきれずにちょっと聞いてよ!と外側に表現してしまった私は、ブーメラン待ちです。
感情は外に表現すればあとから必ずブーメランで返ってきますからね、うううー。






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