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ごらん世界はすばらしい

記事のタイトルはかつて参加したダンス公演のタイトルです。
公演のポスターはすっくと立つ葱坊主の写真だったような。
いろいろあるけど、日常はすばらしいよなという認識のもと作られた作品だったという記憶です。

今日アマプラで観た映画、『パターソン』もそんな映画でした。詩を書くパターソンの淡々とした日常。
朝起きて朝ごはんを食べて出勤して。。。月火水木と続くことがまるで韻を踏んでいるようで、この映画全体が一編の詩のように描かれている。

淡々としていることはつまらないこととは違う。つまらなく捉えればつまらないというだけ。淡々、淡々としているが日常には実際いろんなことが起きている、そこにはなんだって見出すことができるし、毎日同じことをしているようで同じ日など1日もない。毎日は豊かで、切なくて、可笑しくて、いとおしい。
そんな日常という生活の中で表現をしている人がたくさん出てくるのだけど、それが事実よね、と思う。身の周りを見渡しても表現をしている人はたくさんいる。
10歳くらいの女の子とのシーンは好きだったなー、パターソンとの会話も良かったし、詩がはっとするほど素晴らしかった。
パターソン自身の詩もよかったし、全編通して会話がとってもよかった。ユーモアもあって。

パターソンの職業はバスの運転手だし、毎晩犬の散歩にも行くんだけど、散歩と車の運転て、創作には最適な瞑想チックな行動なのよね。
他に瞑想チックなのは電車やバスに乗ること。自転車の運転は私にとっては当てはまらない。精神的に余裕がなくなる行為に近くて通勤に自転車を使うのをやめてしまったくらい。なんか余白が生まれにくいのよね。必死になっちゃう。

推しの一人であるアダムドライバーがパターソンを演じているんだけど、後半のパターソンの内に秘めた表情がとてもとてもいいです。後半に好きが炸裂した。
表現は孤独、ひとりのものだよね。でもそれは他者と関わる生活の中で可能。

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