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かんたんにやる

クラスはセッションといったように、クラスで何を話し出すのか、始まってみないと自分でもよくわからないのです。自動再生みたいなことが多い。

先日クラスで話したのは「簡単に練習してね」ということ。

練習を複雑にしたり難しくするのは、自分から目を逸らす口実になるから。

アシュタンガヨガはやることも決まってるから、シンプルにただ練習しちゃうとそこには自分の体と呼吸と気分と心があるだけなわけで、目線定めて集中しちゃったら丸見えなのね。まあそんなに人は集中力ないから見えないかもしれないけど。
そこを見続けるのがヨガの練習だけどね。

ちなみに、ポーズができるようになるまでのストーリーって自分で設定してるからね。
初めてそのポーズをやってみたとき、もしくはどこかでそのポーズを見たときに、むりー!ありえない!と思ったら、無理、ありえないというところから練習はスタートして、大体そのまま苦手なポーズとしてカウントされたままになるの。
そしてその無理と設定したポーズを克服すべく長くて難しい練習を続けることになるの、そう設定したからね。
やれ股関節がかたいとか股関節がかたいとか股関節がかたいとかいいながらね。
その挙句に身体を痛くしたり、いろんな先生のいろんなWSを渡り歩いて、できないポーズをエンジョイするんだよね。
エンジョイしてるんだよ、「できない」を「できる」にするっていうストーリーをね、楽しんでるの。
でも当の本人はいたって真面目だから「できないをエンジョイしている」ことはなかなか受け止められないかもしれないけど、だいたいそうだよ。
できないをエンジョイしてることに「うん」と言えるならその練習はオッケーだよ、自分がみえてるってことだからね、どんどんやったらいいよ!
でも苦しいなら自分の設定を見つめてみてね。
ポーズができるようになったのは「これだけ練習したらできるようになる」って最初に設定したからだよ。

いい先生に出会えるとそのことに無言で気づかせてくれて、毎回出来幅が全然違うっていう面白ヨガ練習が体験できます。
おれは毎日違うんだなって体感できて、自分に降参できるよー。
前回の記事に挙げた「サレンダー」の意味がリアルにわかっちゃうかも。

ヨガの練習は、自分が無意識にどんな設定を作りがちなのかを認識する作業なの。
苦手の克服じゃないんだよ。
何かを克服してどこかに達するってことじゃないんだよ。
自分を知る作業なんだよ。
みているところが違うと永遠に克服ドラマをエンジョイするだけになっちゃうからね。
そのドラマが好きなんだということに自覚があれば自分を知ることとイコールだからオッケーだけどね。

ポーズができない、という状態を想像してみて。
ポーズが最初からできちゃう、という状態を想像してみて。
できない状態の想像の方がホッとした人って結構いるんじゃないかな。
なじみがあるからね。
あとネガティブな方が想像しやすいというニンゲンならではのマインドの仕様だから、それは悪いことじゃないよ。

なんかピンときたかもーという人は試しにラジオ体操感覚で練習してみてね。
そしたらヨガが待ってましたとばかりに向こうからやってくるかもしれないよー!


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