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走馬灯の像を破りさる呼吸で踊る

2022年6月5日。天使館にて、ダンス公演『フーガの技法』を観る。
笠井叡先生と、平山素子さんのデュオ。

平山素子さんは、地と天がくっきりした体で、曲が進むにつれ、次第に火のような息づかいで弾けていく。
先生は空気のような、モディリアーニのようなたたずまいだったが、二人の体が空間を作り始めると、離れているのに、エゴン・シーレのからみのような水気が漂ってくる。二人は不思議な、けれど共通の呼吸をしていた。

「フーガの技法」の16曲を一言でいうなら、今際の際(いまわのきわ)。
死にぎわの走馬灯が流れているように感じる。他でもない、バッハの。
だから、どれだけ肉体を駆使した動きを見ても、目に飛び込んでくるのは、どこまでも絵画、像の世界だ。夢の中の水の世界でもある。
その像をさらに破いて出てこようとする、あの呼吸は、なんなのだろう?

2022年6月9日。前川知大の劇団イキウメを観にいく。『関数ドミノ』。
神話とSFと哲学がごった煮になった前川知大の作品は、どれも好物の匂いがする。
今年は後、『天の敵』がある。完全食と不食を扱った作品。料理研究家の友人を誘って行こうかな。
しかし、会話劇の楽しみ方をすっかり忘れてしまった。これなら脚本で読みたい、と思った。役者の生のカラダではなく、イマジネーションのほうの体、顔すらも剥ぎ取られた、完全な言葉の世界で。

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今週はこんな感じで、舞台に足を運んでいる。
散歩をし、瞑想し、文字をたくさん書き、筋トレに行き、稽古をし。
施術のシークエンスも再構築の時期で、あらためてシェルドレイクとか読んでいる。

毎朝10分間、サイコロを振って脚本の筋を一行書きするログライン修行も続けている。ネタ帳が出来ていくようで、楽しい。
仮タイトルだけ書き出すと、『サバイバル・マネージャー』『引きこもり二重生活』『金持ちゲーム』など、およそ自分の自我では書きそうもないものが出てくる。サイコロいいな。今日のネタは、酵素の研究者が餓死した謎を追うホラー・ミステリで、これは実際書いてみたい。
スキマ時間に、投稿サイトに下書きするくらいの気楽さがいい。

2022年6月12日。天使館で、チェロソナタの作品見せをする小さな発表会をする。長く取り組んできた作品。

この日は母の四十九日に重なり、納骨があるから帰れたら帰ってこいと言われ、最初は発表会を断るつもりだった。仕事の都合で、葬儀の日に収骨(骨を拾う)を待たずに東京に戻ったからだ。

しかし、デュオ作品で、わたしが抜けると、相手の体も消えてしまう。
「発表会があるんだよね」と父に相談したら、「自分のことを優先しろ」と返ってきた。いつからこういうことをいう人になったのか。

これを言うと笑われるかもしれないし、そんなの目指さなくていいと言われるかもしれないが、わたしはずっと、「人並みに動けるように」を目指して、稽古に取り組んだり、ボディーワークを受けたりしてきた。

体は個性である前に、人間としての共通項や生理現象が、圧倒的に大きい。だから、まずは人並み。そんなふうに思ってきた。

その思いは、わたしを謙虚に学ばせ、客観視させ、成長に駆り立ててはきたけれど、同時に強いストレスを与え、つまらなくもしてきた。

チェロソナタは、「どう動くか」ではなく、「空間の中で体が動く」ような手続きを作り出さなければ、オイリュトミー作品にはならない。

あと二日。自分は自分以外のものにはなれない。
音に、花に、水に、火になるとするなら、それは自分の意識を破いていくしかないのだ。

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