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私がnoteを始める理由

結論:言語化能力向上のため 

私は文章を書くのが苦手だ。文章をすらすらと書ける人を尊敬する。思い返すと、これは幼少の頃から変わらない。作文が宿題になったら全く書けないのだ。なんでも書いていいよと言われるが、何を書けばいいのかわからないのだ。せめて題が決まっている小論文であればぎりぎり文字数をクリアするだけの文章は書くことができた。漢字をひらがなで書いたり、謎の位置に句読点を置いたり、とりあえず字数だけの文章だ。中身は当然ゴミも同然だ。ずっと文章を書くことから逃げてきた。そのつけが社会人になった今まわってきた。研修が終わったあとは感想を提出しなければならないし、半年ごとに自分が将来何をしたいのか提出しなければならないのだ。会社で生き残るのに文章を書く能力が少なからず影響を与えるのだ。

 また、私は自分が感じていることを言葉にするのが苦手だ。相手に発するのが苦手なのではなく、言葉に置き換えることが苦手なのだ。さらに言えば苦手だけでなく下手だ。コミュニケーションの場面でも、気の利いたことは言えないし、エピソードを話すのも下手だ。人として早急に改善すべき課題である。これも幼少の頃からのつけが回ってきた。学校での出来事も家族に話したことはないし、日々学校の先生に提出する計画帳に書く日記も一文で誤魔化してきた。

 文章を書けない。エピソードを話すことができない。人として致命的な欠陥を抱えている。ただし、一部例外が存在した。部活や仕事のことは相手に教えることができるのだ。おそらく自分の頭で考え抜いたことはきちんと話すことができるのだ。文章力は低いし。その場で自分の感じたことを言葉にできないし、エピソードは話せない、これは単純に訓練が足りないのだ。訓練をつめば解消できそうな気がする。なんとなくそう思うのだ。

どんな訓練があるだろうか、コミュニケーションの場数を踏むこと、文章を読むことと、文章を書くことの3つが考えられる。コミュニケーションは常日頃行うことが多い。文章を読むのはネットニュース等常日頃触れる機会が存在する。そうなると、私に足りないのは文章を書くことである。日記を書くのはどうだろうか、毎日は無理だ、書いても質の低い文だろう、書くにしても自分のベストを尽くさなければ能力は上がらないだろう。そうしていきついたのがnoteだ。毎日は書かなくても、人の目に触れる可能性のある場所に投稿すればちゃんとした文章を書くようになるだろう。こうした理由で言語化能力を向上させるために私はnoteを始める。

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