見出し画像

ルーツ

「おばあちゃん(僕の祖母)はね、焼き鳥屋をやっていたのよ。私が子どものころ、おじいちゃんは福島県の会津若松で新聞配達の会長をやっていて、そのあと宮城県で大手の新聞の配達もやり始めていて宮城に引っ越したの。でもね、おじいちゃんはそのときに働きすぎて脳溢血になり、倒れてしまって片方の足は麻痺してしまったりもして、働けなくなってしまったの。

それで一家の暮らしは急変してしまって。お金が急になくなりはじめてきてしまったの。でも、おじいちゃんは騙されても騙されても人のことを信じていろんな人を助けてきた過去があったから、ある人から神奈川の藤沢にある借家を借りたの。3年間、月3万円(たぶんその当時にしてはかなり大きな金額だっただろう)をある人からもらえることになって生きれたの。その間に、なんとか生活を立て直しなさいって。

そんな中、おじいちゃんは働けないから、昭和40年(1965年)におばあちゃんは焼き鳥屋を始めたの。働いたことがないおばあちゃんが料理は美味しかったから、最初はラーメン屋か何かを始めようと思ったんだけど、物件の都合上、焼き鳥屋になったみたい。私(僕の母)が中学校1年生のときだった。最初は細々とやり始めていた。おじいちゃんがバスか何かで仕入れに行って、脚を引きずりながら、毎日がんばって仕入れをしていた。あるとき、冷凍の鶏肉をつかまされてしまって、おじいちゃんは「こんなの出せないでしょ、もう一回買いに行って!」とおばあちゃんは怒っていた時もあったわ。慣れない仕事をずっと、ずっと二人でやり続けていたんだな、と思うね。

私は高校3年生ごろから焼き鳥屋を手伝うようになっていて、その頃からはたくさんのお客さんがくる店になっていた。昭和50年までお店をやっていたけど、そこでお父さん(僕の父)と出会って北海道に住み始めたのよ。」


母を初めて大阪に招待した。叔母が静岡にもいるので、二人を招待して大阪を歩く。思えば、母と外食など不思議な感じだ。そもそも、今井家では外食をすることがほとんどなかった。行くのは2ヶ月に一回ぐらいに行くラーメン屋とジンギスカンのみ。

「今日は焼き鳥屋を予約したよ」

「え、焼き鳥屋さん、嬉しいー。焼き鳥って豚?」

「いや、ちゃうから。普通の鶏肉」

母は昨年亡くなった祖母の介護もあったので、70年近い人生の中でラーメンとジンギスカン以外、外食をほとんど食べたことがなかった。特に夜は外に出ることがなかったため、一緒に食べるのもなんだか少し僕も緊張する。

そんな中で出たのが祖母が焼き鳥屋をやっていたときの話だ。詳しいことは実はそこまで聞いたことがなかった。祖父は僕が生まれる前には既に他界していて、どんな人かなどもそこまで聞いたことがなかった。

焼き鳥屋で焼き鳥屋をやっていたときの話が出るなんて、と思いながら僕は飲んでいた。ただ、それだけの話。


D×Pへの寄付も嬉しい!  http://www.dreampossibility.com/be_our_supporter