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「女の子」アニメじゃない!プリキュアの誤解を解く

映画『ヒーリングっどプリキュア』を観た。
13年前のプリキュア『プリキュア5』をお目当ての次女と一緒に劇場へ。
振り返ればプリキュアとは長女が3歳の頃からもう15年の付き合いだ。

最初の10年間ほどは毎回映画にも行っていた。
そんな懐かしいプリキュアを5年ぶりに映画館で鑑賞。
今回のプリキュアも、思いっきりプリキュアだった。

語彙力…って感じだけれど、フツーに面白かった。
オタクパパを名乗っているけれど、プリキュアをずっと追いかけているわけではない。
だから最新のプリキュアの設定はよく知らない。

よく知らないけれど、ググらずに書きます。
今回のプリキュアの軸は二人のシングルマザーだ。
主人公のプリキュアの母親ともう一人、映画の中心になる事件を起こす母親。

これだけでも十分とんがっている、と思う。
いわゆる「普通」の円満な家庭じゃなくって、映画の中心がシングルマザーとその娘。
しかも二組も!

さっきも書いたけれど、設定をググらずに決めつけて書いている。
シングルマザーと決めつけている。
どうしてかというと、どっちも父親が一コマもでてこないからだ。

もし、設定上父親がいるとしても、全く存在感がない父親ならシングルマザー認定していい。
現実に映画の中に父親は存在しなかった。
それがダメだなんてバカなことは言わない。

この映画が表現するテーマにおいて、父親は不要だったと言うことだ。
実際、過去のプリキュアには父親がたくさん出てきて、父親が活躍した話もある。
だからシングルマザーの母娘しか出ない偏った映画があってももちろんいいのだ。

一本の映画だけを見て、そのシリーズ全体を決めつけてはいけない。
プリキュアは「女の子」アニメじゃないし、子どもに見せるためだけに作ったアニメでもない。
そもそも1作目のテーマは「女の子だって暴れたい!」なのだ。

そこから「勝ち負けだけじゃない世界へ」さらに「男性プリキュア」の誕生を経て現在がある。
だけれども今回の映画を観たひとりの父親としては…
10年前の父親が大活躍していた映画『スイートプリキュア』を懐かしく思い出すのでした。


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