日本人はキョロキョロしている。という主語が大きい文章で恥ずかしい
キョロキョロしている人が苦手だった。
中学生の時、ずっとキョロキョロしている同級生がいた。
自分が周りからどうみられているのか、本当に常に物理的にキョロキョロしていた。
僕は彼を見るのが苦手だった。
一説によると、日本人は日本人論が好きだそうだ。
日本人がどれほど特殊で、その他の世界と違うのか。
日本は世界の他の国からどのように見られ、どのように評価されているのか。
そんなことをすごく気にしている国民だと。
諸外国の全てを知っているわけじゃないので、これがどれくらい本当なのかわからない。
当然、どの国もそれぞれ特殊な部分があってどの国も違うと思うのだけれども。
だけれどもそういうことを書いた本が日本ではバカ売れしているのは事実だ。
古くは「菊と刀」から「日本人とユダヤ人」。最近なら「日本辺境論」に「日本の品格」。
列挙するとすごいリストになるし、この手の本は僕も好きだ。
テレビでも日本がどれだけ特殊でどれだけ凄いかばかりをやっている番組が週に何本もあった。
僕はこの手の番組は苦手だった。
ひたすら日本を自画自賛しているタイトルを見るだけで恥ずかしくなって、番組は見たことがない。
日本人はいつも世界からどう見られているか気にしてキョロキョロしているテレビ番組。
キョロキョロしているから日本人論の本がバカ売れする日本。
日本と世界だけじゃない。
もっと舞台を小さくして自分と世間の間でもキョロキョロしている人は多い。
ネット上のコメントから感じられる。
例えば映画やアニメに対するコメント。
この人、自分の感想がないんじゃない?と感じるコメントをよく見るのだ。
自分の感想は間違ってないか?正しい感想はどれか?って正解を常に探している。
だから多くの人が絶賛している映画は絶賛ばかりだし、この映画は酷評してもいいぞとなったら寄ってたかって酷評する。
常に世間の流れをキョロキョロと見ている。
自分の考えよりも、コメントの流れの多数派を優先してそれに乗る。
多数派に流される、自分の意見がとても弱い人がたくさんいる。
そのことに自分で気づいていればいいけれど、ほとんどの人は自覚もなさそうだ。
多数派の感想が正解なわけではない。映画の感想くらい自分は自分で押し通せばいいじゃないか。
どうすれば流されないか。どんなに拙くっても、自分の感想、意見を自分で言語化することだ。
「私と同じ感想を言語化してくれてありがとう」って他人のレビューにお礼を言ってるコメントも多い。
そんなことしてたら、言語化が上手い人の感想、話上手な人の意見にどんどん吸い込まれて集約されていってしまう。
自分で言語化することをサボると流される。
僕はキョロキョロしてる日本人が苦手です。
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