見出し画像

マスクをしたい卒業生が負ける必要はない

マスクが嫌いである。
新感染症流脳のこの3年弱で少しは慣れたし、これ以前も花粉症がひどいときはイヤイヤつけていた。
イヤイヤだ。だからマスクをできるだけ外したいという趣旨のnoteもたくさん書いた。

この3年弱、屋外を一人で歩いているときはマスクをずっと外していた。
人と歩くときは着けていたし、屋内では着けていた。
電車のホームでは混み具合や、感染症の流行具合、そして世間の空気から考えて着けるときもあったし外している時もあった。

でも電車の車両内では基本的に着けていた。
この1週間めっちゃ見る「マスクを個人の判断に」というニュースの省略された表現がとても不思議だ。
マスクはずっと個人の判断だったはず。

ただし、公共のルールを守ることは基本的に個人の判断に優先する。
「マスクを着けてください」という場所では当然する。土足禁のところで靴の脱ぐのと同じだ。
どうしても靴を脱ぎたくないなら和室に上がらないのと同様に、マスクを着けたくないのならマスクを着けてくださいルールの場所には行かないことだ。

なぜマスクは「個人の判断で」とか、「卒業式でマスクを外すことを検討」なんてことを公が発信しなくてはならないのか。

この3年間マスクを自分の判断で着脱している人は少数派で、
「私はマスクを外したいのに、周りの人が外さないから外せない。だから公が決めてください」
という方が多数派だったんだろうか。

マスクを着けたい人、マスクが必要な人は当然着ければいい。
「マスクを外さなくてはならない」ルールの場所はほとんどないんだから。
そこで卒業式のマスクである。

僕はマスクが嫌い。
だけれど「マスクを外せ」の空気がもしこれから強くなるとしても、
マスクをしたい(マスクが必要な)小中高の卒業生たちが負ける必要はない。


スキ「♡」をありがとうございます! 「サポート」はささやかな幸せに使わせてもらいます♪