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ドイツ初、歌うクリスマスツリー

お祭り好きの町が、また新しいものを持ち込んできた。

私の家族が、かれこれ15年住む南西ドイツのヴァルトキルヒ市。人口2万人、環境首都として有名なフライブルク市の近郊、黒い森の裾野に佇む、森とオルガンと木工、ワインの街。

教会前の広場に約10メートルのクリスマスツリー状の6階建の音響付きの舞台が建てられた。この2週間、雪がちらつく氷点下の気温の中、毎日夕方に、クラッシックからゴスペル、ロック、ポップ、子供の民謡まで、地域のいろんな合唱団が上がって、ツリーの中から白い息を吐きながら街に歌声を放っている。サッカー場の半分くらいの面積の広場は、コーラスグループの家族や親戚、友人、地域の関係者で毎日、溢れかえる。舞台の周りに設置された、地域のワイン農家のホットワインと軽食、手づくりの装飾品の屋台も一緒になり、人々の聴覚と視覚、喉とお腹とハートを潤している。

この「歌うクリスマスツリー」は、隣のスイス、チューリッヒ市生まれだそうだ。ドイツに「輸出」されたのは、小都市のヴァルトキルヒが初めて。ただ、輸出といっても、車で1時間半の距離だし、言葉もお互いドイツ語の強い訛りなので、日本的にいうと、県境を越えるようなもの。チューリッヒでこのイベントを見たヴァルトキルヒのお祭り協会のメンバーが、ぜひ自分たちの町でもやりってみたい、とチューリッヒの主催者とコンタクトを取り、同時に市長と市議会も説得し、約5年がかかりで実施に漕ぎ着けた。

歌うクリスマスツリーの「発明家」は、アンドレ・コーフメールさん。彼らチューリッヒのイベントチームには、毎年、いろんなところから、同種のイベントをやりたい、ということで、協力・サポートの問い合わせが来るそうだ。しかし、それを彼らはほとんど断っている。「お金があるだけ(予算と損得勘定だけ)。そんなところと私は一緒にやりたくない」とコーフメールさん。たとえ、大都市の東京や、ワーナー・ブラザーズ、コカコーラといった大企業から問い合わせが来ても(大金を貢がれても)、彼は断るだろう、と地方紙の記事に書かれていた。

そんなコーフメールさんがヴァルトキルヒ市の熱いコールに応じたのは、文化を大切にする町だと理解したから。オルガンの製作で有名な町で、今でも4つの工房が、教会オルガンから機械仕掛けのストリートオルガンまで製作している。また、ドイツでもっと古い、市立の市民音楽学校もある。「私が(歌うクリスマスツリーで)与えられるもっとも素敵なことは、コーラスのサウンドと伝統だ」。イベントの初日には、チューリッヒ市のゴスペルコーラスのメンバーと一緒にコーフメールさんもやってきて、彼の発明品のドイツ初披露目をヴァルトキルヒ市民と一緒に祝った。

ヴァルトキルヒ市はお祭り好きの町。商店街の広報共同体や市民の文化・スポーツ、教育の団体などが、市の行政の支援も受けて、1年中、絶え間なくお祭りをやっている。恒例のイベントとしては、国際オルガンフェスティバル、男性陣を買い物へ誘うための商店街のメインストリートでのクラシックカー展示会、子供たちのフリーマーケット、湖でのバスタブボートレース、森の幼稚園主催の森の野外映画会、1300mのカンデル山への登頂マラソン、ワイン畑を歩きながらワインを飲でん食べるイベント、中世の文化・手工業祭り、1週間、仮装して歌い、踊り、呑み騒ぐファスナッハト(カーニバル)などがある。

今回のドイツ初の「歌うクリスマスツリー」も、その他の魅力的なイベントも、エコノミーの観点からいうと、人間が人工的に生み出した経済需要である。市場経済で提供される多くの商品やサービスと同様に、人間が生きる上で、必ずしも必要なものではない。これらは究極的には、なくても済むものだ。

ただ、この町の小さなイベントが、私たちの日常に多大な影響を与えている多くの経済商品やサービスと違うところは、利益が第1目標ではないこと、出た利益は多くの人や団体に分散すること、お金の大半が地域で循環すること、多大な広告宣伝費をかけなくても成り立つこと、環境へ被害をもたらすことと南北格差を助長することが少ないことだ。

1つだけ共通点もある。それは、これら小さなお祭りは、巷に溢れる経済商品やサービスと同様に、人々を中毒にさせてしまう、ということだ。でも、人々を不健康にしたり、エゴや暴力を生み出したり、孤独感や疎外感を助長したり、不安や妬み、競争意識を掻き立てたりする、という悪い副作用を持った中毒症ではない。市民の手作りの、心のこもったイベントは、信頼、喜び、リスペクト、寛容、協力、隣人愛、といった人間の美徳を呼び起こして育てる、という良い副作用を内包する中毒性感染症を強力に伝染させる。

今、季節的に流行っている風邪やインフルエンザ、エンデミックへ移行しようとしているコロナの感染も、今回のイベントで助長されたかもしれない。でも一方で、寒い外の空気に触れること、家族や親類、友人と、楽しい時を過ごすことが、体の免疫力を高める効果があることも強調したい。生きるために、必ずしも必要ではない人工的な経済需要と述べたが、撤回したい。このようなイベントは、心と身体の健康のためにも、人間性を回復するためにも必要な、生活の基本的需要だ。

「Gemeinwohlökonomie (公共善エコノミー)」という、欧州を中心に草の根で広がっている、人々を幸せにする新しい市場経済の運動の核になっている本を翻訳しました。よかったら、手にとって読んでみてください。

https://note.com/noriaki_ikeda/m/m13ff063cc3f9


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