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聖職詐欺。

近況

 日記を書くのはまたまたご無沙汰しております。
 仕事の疲れが思いっきり溜まってしまい、こっちのことを書く気力がなかなか沸かなかったのですが、定期的に書いておかないと自分の思考が頭に残らないまま流れてしまうって思ったので、そろそろ書こうかと。

 あと、書いておかないとサボっているなぁって感じてしまって。
 週一回は、週一回はって過去の日記に書いてはばっくれてしまっているので、今度こそはつぶやきも含めて書いていかないとって自分の書いていることを読み返して思った訳で。

あるニュースを見て

 今朝、このニュースを見て今まで考えていたことを思い出し、これは一回まとめておかないとと思って書き出しました。
 まあ、僕が今している仕事を志す以前からもう、教師聖職者論ってのがありましたが、妙な時に持ち出されるなぁって思うんですよね。たとえば、教職調整給ってが典型的だと思うんです。

 教職調整給ってのは、1960年代に教師の超過勤務が問題になっていて、教育委員会は負けまくっていたようです。で、何か対策をしなければってなった際に、時間外手当を出さない代わりに、そもそもの給料の4%に当たる額を先に払うことで、残業代を抑えるっていう法律を作りました。(本当はそれだけではありませんが。)それが、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)なんです。

 これが曲者で、給料の4%って根拠が、昭和41年度(1961年)の文部省実態調査で明らかになった月8時間の超過勤務に相当する金額として算出されたものなんですよね。40年以上もそのままってことなんです。だから、やっとこさここに注目されている訳なんです。

 フェアにならないのでちゃんと言うと、この4%は給料の中に含まれるので、実際はボーナスの算定の基礎額になっているので、実際は8時間以上の
額貰っていますよ。でもね、実際、ほとんどの人はそれ以上働いていると思います。持ち帰り仕事も含めるともっとでしょうね。

 なんせ、この話で昔、自分の父親に「お前は何もせんでも残業代貰っている」と文句を言われたことありますから。いやいや、今は仕事を極力短い時間で省力化できるようになったから定時には出るようにしていますよ。でも、残業時間は8時間余裕で超えてますよ。貰えるものは貰わないと。言われた当時は今の3倍ぐらい働いてたような気がする。
 ちなみに、一番働いていた時はタイムカードを通していた時間で今なら確実に過労死ラインでしたね。当時でももう少しで産業医の面談を受けるギリギリラインでしたから。

今回のタイトルについて~教師聖職者論について~

 で、そういう時に昔いわれていたのが「教師聖職者論」だと思うんです。「聖職なんだからお金のことを言うな」ということなんですよね。僕は別の方面で同様のことを言っていますが、それを含めると文字があまり増えるとぶれてしまうので別の機会に書きますね。

 話が別の方に転がりそうになりましたが、要は、「聖職」ってことで祭りあげて、待遇はそれも込みねってなっていたような気がするのです。あと、高等教育進学率が今ほど高くなくて、「教師」=「賢い、見識がある」って世の中での認識が強かったのかなぁって。
 わかりやすい例として、その当時もアウトでしたが、僕が当時の担任にゲンコツ一発喰らって帰って母親に「先生に叩かれた」って言ったら、「あんたが悪いんでしょ」と言われたものです。
 今なら背筋がぞっとしますけど。

 これって、教師に見識があるからって思われているから、親も一種の信頼が出て、我が子がゲンコツ喰らっても、「お前が悪い」といえる訳でして、僕より後の世代からですもんね。親が学校に殴り込み行くってことを聞くようになったが。

 この変化って僕は高等教育進学率が高くなったのと少子化なのかなって思っています。少子化で子ども一人に時間も人手もかけやすくなったってのは往々に聞く話なんですし、僕自身も実感はあるのですが、少子化よりも高等進学率の方が社会に与えた影響が多いのかなと個人的には思ってます。

 高等教育進学率が低いときは大学に行っている=勉強している=賢い=見識があるって思っているって思われがちだと思うのですが、高等進学教育率が上がると大学の授業受けていて、隣で寝てるやつが教職についている可能性あるんですよね。

 2019年のデータですが、18歳人口に占める高等教育進学率は82.8%だそうです。ここで高等教育を説明してなかったのですが、高等教育とは、大学や専門学校のことを主にさします。高等って入っているから高校は?と聞かれますが、高校は中等教育です。中学校と高校が一緒になっている6年制の学校って中等教育学校っていうじゃないですか?ここからです。

 82.8%の高等進学率のうち、大学は53.7%だそうです。半分超えてますよ。18歳人口の。絶対数が減ってるとはいえ、半分以上が大学進学しているのですから。

 これが今こうなっているだけで、これって1960年代からほぼほぼ右肩上がりなんですよね。全体的な特徴として。
 今の親世代が大学生だった時代でもほぼほぼ半分が進学しているってことが、前段で書いた自分の横で寝ていたやつが教師になっていた可能性があるってことなんですよね。(まあ、そんな人間がいわゆる素晴らしい教師になっているかは甚だ疑問ですが。)

 とはいえ、自分たちがいけないところに行って職業についているのと、自分の隣にいてた人間がなるのとでは大きい差があるのではないのかと思います。

それが始まったのが、私の世代の一個下の世代なのかなぁって。

高等教育進学率のデータに関しては以下から参照しました。


聖職詐欺の先へ。

 そんな時代の変化も全く関係なく、聖職だからといった詐欺的な手法ではないのかと個人的には思っています。20年ぐらい前から。
 あ、世の中が悪いわけってせいにしたくないんですよ。
 教師も問題があると思ってます。あくまで聖職詐欺についての話なんで。両方とも書くとブレブレになりますし。

 話はずれました。教職は聖職ですっていう詐欺的手法を全面的に教員採用に押し出した結果、どうなったのかって言えば教員採用試験の倍率が軒並み下がるわけですよ。

 給料がいいわけではない、社会的地位はない。休みは碌にない(特に中高)。ってなると、なり手は減りますよね。当然です。それこそ社会の授業で習いますよ。今はツケが回ってきている結果なんですよね。

 なんで、最初の方に出た給特法の改正になっているだと思うんですけど、まずはちゃんと待遇保障しないとダメだと思いますよ。資源もない国が発展するのは教育ですから。それには教師がもっと研鑽を励まないとダメですね。それを対応する制度に変えないとって思っています。

そろそろ、聖職詐欺から脱却しません?

サポートされたものはこれからの活動費として充てさせて貰います。 書籍購入や研修参加費用、取材費などに充てたいです。