サッカーは結果が全てではない。日本代表が目指すべき最高の散り方

 「結果が全てなので」
 
 「自分たちは絶対にチャンスもあったし、最後本当に取り返すチャンスはいくらでもあったので、あとちょっと届かなかったのが、この自分たちの力のなさかなと思います」

 試合終了直後、インタビューエリアでマイクを向けられた主将の熊谷紗希は、涙を堪えながら上記の言葉を口にした。

 女子W杯準々決勝、日本対スウェーデン戦は、最後まで目の離せない白熱した試合となった。

 後半6分、VAR介入で与えられたPKをスウェーデンに決められ0-2。この時点で8割方、試合は決着したかのように見えた。その時、前半の内容を踏まえれば、それ以降の試合展開を予測することはできなかった。

 試合前、ブックメーカーから高く評価されていたのは日本のほうだった。決勝トーナメント1回戦で優勝候補筆頭のアメリカに延長PK勝ちしたFIFAランキング3位のスウェーデンではなく、ここまで4戦4勝(得点14、失点1)という圧倒的な成績で勝ち上がってきた日本のほうがやや有利だと、ブックメーカーはそう判断した。ところが、前半の内容はそうしたブックメーカーの予想とは大きく異なる、ほぼ一方的な展開だった。

 前半ははっきり言って、日本にいいところは全くなかった。チャンスゼロ。ボール支配率でもスウェーデンに大きく劣った。最終的なボール支配率はほぼ互角だったが、前半に限ればおそらく30対70以上の関係だったはず。前半はスウェーデンに完全にゲームをコントロールされた。
 だが、この前半の試合展開に驚かされたと言えば、そうでもなかった。スウェーデンがオーソドックスな4バック(攻撃的サッカー)を採用していること、そしてこれまでの日本の戦いぶり(守備的なサッカー)を見れば、こうした試合展開は少なくともこちらには十分予想できたことだった。

 さらには池田太監督が選んだそのスタメンの顔ぶれも、日本の劣勢を予想するには十分な追い討ちとなった。ノルウェー戦からの変更は、左のウイングバックが遠藤純から杉田妃和に変わっただけ。他の10人は苦戦気味だった前の試合(ノルウェー戦)と全く同じだった。加えて言えば、突破力のあるFW系の遠藤から中盤タイプの杉田に変えたことで、左サイドからの攻撃はより鈍くなりそうなことも容易に想像がついた。

 戦い方、布陣、そしてスタメンの顔ぶれが変わらないとなれば、これまで以上のサッカーは期待できない。

 前半32分、スウェーデンに先制点を奪われた日本。FKのこぼれ球から押し込まれたいわゆるセットプレーからの失点ではあるが、それまでの試合の流れを踏まえれば、この失点は必然だったと言える。さらに前半の終盤にスウェーデンはもうひとつ、決まってもおかしくないポスト直撃のシュートを放っている。0-1で前半を折り返した日本だが、その0-1は内容的に限りなく0-2に近い、点差以上の差を感じさせるスコアだった。日本にとって0-1はラッキーなスコアとさえ言えた。

 圧倒的に押し込まれていたにも関わらず、幸運にも0-1でハーフタイムを迎ることができた。思わず想起したのは、昨年のカタールW杯における男子の日本代表、そのグループリーグのドイツ戦とスペイン戦だ。2試合ともその前半の内容は、このスウェーデン戦と瓜二つ。圧倒的に押されていながらも最小失点で済んだという点で共通している。カタールW杯ではご承知の通り、森保監督が行なった選手交代がハマり、ドイツ、スペイン相手にどちらも2-1で逆転勝ちした。ドイツ戦では後半30分までに5人の交代枠を全て使い切り、スペイン戦では後半開始から投入した堂安律と三笘薫が躍動した。日本はもちろん、世界中のサッカーファンを驚かせたことは記憶に新しい。

 スウェーデン戦に話を戻せば、後半に日本が逆転を目指すには、とにかく早く選手(あるいは布陣)を変えるしか方法はなさそうに見えた。後半開始から少なくとも2人くらい交代させ、さらには布陣も攻撃的なもの(例えば4-4-2とか)に変えたほうがいい。思わず池田監督にそう念を送りたくなったものだ。
 だが、ハーフタイムに抱いたこちらの願いは届かず、後半開始からの選手の交代は左ウイングバックを杉田から遠藤に入れ替える1人に止まった。つまり後半のメンバーは前戦のノルウェー戦と全く同じ11人に戻っただけだった。この時点で日本はスタメン(出る人)とサブ(出ない人)に選手がくっきり分かれた状態に陥っていた。選択肢が少ない、可能性の低いチームに成り下がっていた。

 スウェーデン戦は今大会5試合目にして、日本が初めて相手に先制点を奪われた試合。言い換えれば、初めて苦境に立たされた試合だった。これまでの4試合は全て日本が前半に先制点を挙げた試合。早い段階でリードを奪い、精神的に余裕がある状況でカウンター(追加点)を狙う、その守備的サッカーを実践しやすい展開の試合だった。
 だが、このスウェーデン戦ではこれまでとは異なり、先に相手にリードを許す展開となった。そこで注目すべきは、先制を許した後の日本の戦い方だった。この試合を分ける大きなポイントだったと思う。ところが先述したように、日本は後半に入ってからもなお、従来の方法論(守備的なサッカー)を変えようとしなかった。これまで通り、慎重に様子を伺いながら少ないチャンスをものにしようとする、後方に人が多いサッカーを展開した。後半が始まっても積極的に前に出て行こうとする様子は見られなかった。

 結果的にこの試合の決勝点となったスウェーデンの2点目は、そんな後半の開始直後に生まれた。長野風花のハンドを取られたそのPK判定は、確かに日本にとっては不運だったかもしれない。だが、そのきっかけとなったCKを献上したのも、日本が相手にやすやすとボールを奪われ、強シュートを浴びたことに尽きる。後半開始直後からもっと相手を慌てさせるような積極的な姿勢を見せることができていれば、2点目は生まれていなかったのかもしれない。

 日本の反撃はそこから。引いていたそれまでとは一変。2点差をつけられたことで、ようやくチャレンジャー精神が剥き出しになったというか、前に出て行くようになった。引いて構え、機を見てカウンターを仕掛ける場合ではなくなったというべきか。
 守備的サッカーで臨んだにもかかわらず、2ゴールも先行を許した。これは計画が失敗したことを意味している。アディショナルタイムも含む残りの40分以上を、それまでとは180度異なる戦い方をせざるを得なくなったわけだ。

 そこで思わず、「最初から普通に戦っていれば……」と後悔したくなるのが、守備的サッカーの一番の問題だ。0-2とされて以降、実際に日本はそれなりに盛り返すことに成功している。後半、日本のその技巧的なプレーはスウェーデンにも十分通用していた。前半の圧倒的な劣勢は、日本の消極的なスタイル(守備的サッカー)に起因していたことは明らかだった。
 実際のところ、前半に一方的に押し込まれるほど、日本選手とスウェーデン選手の力量に大きな差はなかった。体格ではスウェーデンに大きく劣っていたことは事実だが、技術力では日本のほうが相手を上回っていたと思う。

 10分という後半のアディショナルタイムが表示されたとき、「まだわからない」、「同点の可能性あり」と、多くの人が試合の行方に目を凝らしたと思う。この日は日本では祝日(山の日)というわけで、それなりに視聴率は高かったのかはわからないが、無情にも同点に追いつくことはできなかった。

 惜しい試合だった。もしもう一度戦えば、確かにどちらが勝つかはわからない。植木理子がPKを決めていれば、試合はどうなっていたかわからなかった。たが、それでも僕は「惜しかった」とは、あまり言いたくない。この試合を惜しいと言ってしまえば、それは少なからず今回の日本の戦い方を肯定するというか、その方法論を認めてしまうことになるからだ。

 0-2とされて以降、日本が攻勢に出たことは誰の目にも一目瞭然だった。スウェーデンも引くことなく追加点を狙っていたので、試合はここでようやくかみ合った。緊張感溢れるいい感じの撃ち合いになった。そして日本は惜しいチャンスを何度か作った。だが、その反撃が1点止まりに終わった理由を考えれば、自然とその3-4-2-1という布陣の特性にたどり着く。守備的な布陣のまま、攻撃的な姿勢で戦おうとした。その矛盾こそが最大の敗因だったのではないか。

 これまでこの欄で何度も述べできたが、3-4-2-1という布陣の場合、両サイドにいる選手は「4」の両サイドであるウイングバックの1人しかいない。スウェーデン戦の後半で言えば、右が清水梨沙で、左が遠藤になるわけだが、この2人は相手ボールになると3バックと同じ高さまで下がり最終ラインで5バックを形成する。つまりマイボールになると今度はそこから攻め上がるわけだが、スタートの位置が低いので、必然的にその平均的なポジションは低くなる。しかもサイドに自分1人しかいないので、孤立しやすい。対するスウェーデンの布陣は4-2-3-1で、両サイドにはそれぞれ2人の選手が構えていた。だが繰り返すが、日本はそれぞれのサイドに1人しかいない。日本ウイングバックが相手陣の両サイド深い位置に侵入するためには、目の前に常に立ち塞がる相手選手2人を抜く必要に迫られるわけだ。

 サイドの人数は日本の1人に対してスウェーデンは2人。これでは深みのある攻撃はできない。これまでの4試合もそうだが、日本はこの試合でもサイドをうまく使った攻撃を仕掛けることができなかった。後半、攻めていた割に決定的なチャンスが少なかった理由はこれに尽きる。サイドの浅い位置からの放り込み、真ん中からの強引な攻撃に終始した。最も得点の確率が高いとされるゴールライン付近からのマイナスの折り返し、それを意図的に狙うことができなかった。

 敗因は守備的サッカー。そしてそれはもちろん選手の責任では全くない。攻撃的なものから守備的なものまで、数多くある布陣のなかからわざわざ3-4-2-1という(5バックになりやすい守備的な)布陣を選んだのは他でもない、監督だ。相手にボールを持たせることを肯定するサッカー。
 そしてさらにもう一つ、敗因を挙げるとすれば、これもまた監督絡みの問題になる。交代選手を含む、その選手起用法に他ならない。

 スウェーデン戦。0-1で迎えた後半、池田監督が行った選手交代は、左ウイングバックを杉田から遠藤に変えたのみ。だがそれは、前戦のノルウェー戦のスタメンと同じ顔ぶれに戻しただけだったーーとは先述したが、この交代はスウェーデン戦のスタメンを見れば十分予想できたことだった。そして2点目を奪われるや、すぐさまCF(センターフォワード)を田中美南から植木へと交代させた。
 この試合も含め、今大会の田中は4試合に先発しているが、その4試合全て途中でベンチに下がっている。そして交代相手はいずれも植木だった。これもお決まりというか、驚きのない、いわばお約束に近い交代だった。
 
 劣勢にもかかわらず、交代パターンはこれまで通り同じ。これではチームに勢いは生まれない。こうした劣勢のチームに必要なのは、相手を混乱に誘うような大きな変化、いわゆる大手術だ。選手はもちろん、布陣も変えることができれば、相手はさらに困惑する。交代前と後で、大袈裟に言えば全く別のチームに変身させることができる。そうすれば相手をパニックに誘うこともできるのだ。

 カタールW杯、初戦のドイツ戦で行った森保一監督の選手交代がまさにそれだった。5人の選手交代枠を素早く使い、それに伴い布陣をも変更させたその大胆な交代策こそ、相手に混乱を生じさせ逆転を導いた大きな要因だった。

 池田監督に求めたかったのはこうした味方をも驚かせるような思い切った采配だったのだが、そうしたこちらの期待とは裏腹に、ありきたりな交代に終始した。さらに厳しく言えば、2人目の植木を入れたのが0-2とされた直後(後半7分)だったことにも首を傾げたくなる。負ければ終わりの準々決勝にもかかわらず、なぜもっと早く(0-1の段階で)投入しなかったのかとは率直な疑問になる。その選手交代が後手に回っていたことは誰の目にも明らかだった。

 さらに言えば、3人目と4人目の投入が後半35分という遅さにも、個人的には理解に苦しむ。繰り返すが、日本が0-2でリードされている苦しい状況だ。なぜもっと早く投入することができなかったのか。その交代は少なくとももう15分は早く行われるべきだったと考える。

 そして最も首を傾げたくなったのは、残り時間が迫った後半の追加タイム2分に最後の5人目として行われた、高橋はなと浜野まいかの交代である。

 高橋は3バックの一角を担っていたセンターバックで、代わりに投入された浜野はフォワード。ベンチに下げる選手と異なるポジションの選手をピッチに送り込む、俗に言う戦術的交代だ。残りが8分程度という時間帯を踏まえれば、いわゆる最後のイチかバチかの交代になるが、その交代自体は別に構わない。問題は投入された浜野が、今大会5試合目にして初めてピッチに立った選手であるということだ。

 前のノルウェー戦後にも述べたが、浜野はこれまでフィールドプレーヤーのなかでは唯一、出場機会を与えられていない選手だった。チーム最年少(19歳)なのでそれはある程度仕方ない面があるのはわかるが、GKやセンターバックならまだしも、彼女はアタッカーだ。しかも日本は今回、長年代表の顔として活躍してきた岩渕真奈をメンバーから落選させている。30歳のベテランである岩渕を外し、若い浜野を加えることは、代表チームの選択としては決して間違っていない。だがそれは、浜野にそれなりの出場機会を与えるという前提があってこそ通用する話になる。もし浜野を1分たりとも使わなければ、岩渕を含む今回落選した選手に対して失礼な振る舞いに他ならない。筆者はこれまでにそう述べていた。
 だが、この重要な準々決勝の、それも1点を追いかける残り数分の段階で投入される姿を見せられても、そう簡単に納得できないというか、大きな違和感を覚えるのだ。19歳、しかも今大会初出場の選手を、なぜこの最も大事な局面で使うのか。ここまでの4試合で彼女を使えるタイミングはいくらでもあったにもかかわらず、だ。

 時間は少なかったが、浜野がそれなりにボールに絡むシーンは多かった。だが、彼女がチームの中でどう機能するのか最後まで見えないまま試合は終わった。
 それも当然だろう。繰り返すが、浜野はこの試合が今大会初出場だった選手で、しかも19歳。女子サッカーに詳しくない多くの視聴者にとっては馴染みのない存在、大袈裟に言えばプレースタイルすらよく知らない選手だ。少なくともその起用法に戦術的な裏付けは見えなかった。おそらく多くの人もそうだったはず。この選手交替は、むしろ日本の流れにブレーキを踏んだ。最後の最後に失速を生んだ。僕の目にはそう見えた。

 後ろに人が多い守備的なサッカーと、巧く決められなかった選手交代。今回のなでしこジャパンの主な敗因はこの2つだと思うが、これらは全て監督の采配次第ではいくらでも変わる。少なくとも僕は選手を責める気は一切湧かない。なぜなら、監督の采配次第では日本はもっとよい戦いができたとの確信が僕にはあるからだ。選手のプレーには驚かされたが、監督采配には残念ながら驚けなかった。

 来年行われるパリ五輪でなでしこジャパンがどのような成績を収めるのかはわからないが、選手の力量を見れば、少なくとも男子より女子のほうがそのトップとの差は近いと考える(本大会出場がまだ決まったわけではないけれど)。最大限うまく戦えば、金メダルも夢ではない。贔屓目抜きにそう思う。だが、それは選手に限った話。少なくとも監督は金メダル級には程遠い。池田監督しかり。前任の高倉麻子監督しかりだ。少なくとも監督のレベルが選手のレベルを大きく上回っているようには見えなかった。

 大会前のブックメーカーの優勝予想で全体の11番人気に挙げられていた日本にとって、今回のベスト8という成績自体は決してそう悪いものではない。だが、仮にスウェーデンに勝利してベスト4、あるいはそれ以上の成績を収めていたとしても、少なくとも僕はこのサッカーでは大きく喜ぶ気にはなれなかったと思う。逆にもしこの試合で文句のつけようがないくらいのよいサッカーが披露できていれば、同じ敗戦でも筆者は大きな拍手を送ったと思う。

 成績的には可もなく不可もなくといったところだが、今後の日本の(女子)サッカー界の発展につながるようなよいサッカーができたかと言えば、少なくとも筆者の答えはノーだ。両サイドに1人しかいない、後ろに人が多い守備的なサッカーでは、選手のレベルは上がらない。チャンスも少なく、見ていて面白くない。

 「結果が全て」と述べたのはキャプテンの熊谷だが、それは「結果を出すためには守備的なサッカーをしても構わない」と言ったも同然。少なくとも僕にはそう聞こえた。

 池田監督がこの先もなでしこジャパンの監督を務めるのかはわからないが、もし続投するとすれば、心配だ。守備的サッカーで臨みながらリードされるや一転、攻撃的な姿勢に転じるその姿は、決して格好良くは見えなかった。選手交代も上手く決めることができなかった。美しいとは言えない負け方だった。

 男子の森保ジャパンにも言えることだが、日本代表に必要なのは結果ではなく“いいサッカー”だと、今回の女子W杯を通じて改めて思う。いいサッカーこそ勝利への一番の近道。勝利(結果)はその先にある。少なくともこれが僕の意見になる。ちなみにW杯における日本代表の過去最高の“散り方”としてこちらの脳裏に刻まれているのは、2018年ロシアW杯決勝トーナメント1回戦の対ベルギー戦だ。当時の日本代表の西野朗監督が交代枠を1枚残したまま敗れたことは確かに悔いが残る点だが、それを差し引いても試合は底抜けに面白かった。同じベスト16に終わった昨年のカタールW杯における対クロアチア戦より、敗れ方としてはそれこそ何十倍もよかった。

 今回のなでしこジャパンの散り方がどちらに近いかと言えば、カタールW杯での日本対クロアチア。どちらの試合も、日本代表が後方に人が多い守備的サッカーを演じたという点で共通している。接戦とはいえ、どちらも日本にさほど口惜しさを感じなかったところも同じだ。森保ジャパンとなでしこジャパン。W杯でともに守備的なサッカーを世界に披露してしまった日本代表に、はたして明るい未来は訪れるだろうか。今後の両代表のサッカーにとくと目を凝らしたい。

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