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自分を成長させてくれた3つの出来事

私は塾講師をしていました。
その時、自分を成長させてくれた3つの出来事があります。
3つの出来事はすべて10年以上も前のことではありますが、
今でも昨日のことのように思い出されます。
それだけ私の人生に大きな影響を与えてくれました。
今日はその3つの出来事と、
そこから何を学び、今の私に至ったのか。
そういったことを書き綴りたいと思います。
そして、教育に携わる人も、そうでない人も、
何かの学びにつながってくれればと思います。

出来事① 1人の生徒の酷評アンケート

これは新卒で入社した年、つまり、1年目の出来事です。
私が勤めていた塾では毎月月末になると、
子どもたちに対して講師に対するアンケートが行われていました。
塾講師として初めての月末アンケートで、
ある生徒のアンケートをみた私は衝撃でした。
5段階評価(A(高)~E(低))で他の先生がオールAの中、
私だけオールE。。。
さらに「○○先生の方がいい」とまで書かれていました。
新卒の先生にとっての洗礼といえば洗礼ですが、
厳しい研修を乗り越えて頑張った授業をバッサリ切られた、
この時のショックはとても大きかったです。
周りの先生からは「最初はみんなそうだから」という、
慰めの言葉をたくさんいただきましたが、
この時感じたことは「人前に立ったらプロ」だということ。
ベテランも若手も関係ない、実力をきちんとつけなければ、
子どもたちを満足させられないし、
成績を上げることができない、そういった気持ちでした。
この出来事をきっかけに、私はより一層教材研究に力を入れました。
厳しい研修で心が折れそうになったこともしばしばでしたが、
この生徒を満足させたい!
その一心で頑張ったのを覚えています。
その結果、その頑張りが生徒にもだんだんと伝わっていったのか、
関係は良好になりました。
そして、最後の最後まで一緒に頑張ったのを覚えています。

振り返って思うこととしては、
もしこの生徒が酷評してくれなければどうなっていたのか、
ということです。
きっと悔しい想いを持つこともなく何となく日々を過ごし、
それでいて大した努力もしなかったのではないかと思います。

中には全員を満足させることは難しい、
と考えてこのようなことに気にも留めない方もいるとは思います。
でも、私は全員を満足させたいという気持ちを持たなければ、
プロとしてはやっていけないと思っています。
これは何の仕事でも同じではないでしょうか。
その仕事に就いて、
人前に立つ以上はプロとしての立ち居振舞いが求められます。
さきほども書いた通り、お客様から見れば、
何年働いているとかは分かりません。
でも、人前に立った時点でその道のプロとして扱われます。
それを私は1人の当時の中3生に学びました。

言い訳をしたくなることもたくさんありますが、
私の場合はその現実から逃げなかったことで、
その後、飛躍できたのだと思います。
これからも関わった人を全員満足させられるように、
日々精進していきたいと思います。

出来事② 1人も20人も1つの授業

これも塾講師1年目のお話です。
公立の中学生にとって大事なのが内申点を取ること。
そのために重要になるのが定期テストの点数。
その定期テストで点数を取れるようにするために、
私が担当していた難関高校向けコースでは、
テスト前2週間は定期テストに集中できるように、
カリキュラム調整を行っていました。
ただ、中学校によってテスト期間が違うため、
複数の中学が存在しているクラスだと、
時に1人しか通塾しない、なんてこともあります。
これはそんな通塾した子が1人の日に起きた出来事です。
1年目で初めての定期テスト期間ということもありましたが、
1人の授業が初めての経験でした。
そのため、完全にその子に合わせて黒板なども使用せず、
だらだらとした授業になってしまっていたのです。
それを見ていた他の先生から授業後に言われたのが次の言葉です。

「1人でも20人でも1回の授業にかける熱量は同じじゃないといけないよ。
だって、今日の授業は今日しかないんだから。」

ハッ、とさせられました。
確かにその通りだと思いました。
そして、なんと罪深いことをしてしまったのか、
という後悔が出てきました。

人間、易きに流れるという言葉の通り、
20人だったクラスが一気に1人になってしまうと、
楽出来るとか、手を抜いても平気という思考があると思います。
でも、生徒にとっては1回の授業であることは変わりがない。
なぜそんな大事なことに気付かなかったのか。

それからというもの、
私は1人であっても大人数でやっている時と同じ授業を心がけ、
1つ1つの授業を大切にしていきました。
もちろん、子どもたちにも同じ授業は二度と来ないことを伝え、
1つ1つの授業を大切に受けてほしいということも伝えました。
そうしたことで緊張感が生まれ、
良い授業を一緒に作っていくことができたのではないかと思います。
この言葉をかけてくれた先生には本当に感謝です。

出来事③ 人生最大のクレーム

みなさんはクレームを受けたことがありますか?
クレームと聞くと嫌なイメージがとても強いと思います。
でも、このクレームによって私は社会の厳しさを感じ、
そして、二度と同じようなクレームを受けないようにしなくてはいけない!
そう律することができました。
ではどんなクレームか、思い出すだけでも辛くなりますが書きます。

学習塾にとって一番のメインイベントといえば受験です。
私は入社3年目で教室長を任されていました。
1年目、2年目は平社員として入試に臨んでいましたが、
2年間の入試はとても順調だったこともあり、
3年目の入試においてもうまくいくだろう、
といった何とも甘い、おごりのようなものがありました。
でも、当たり前ですがそんなに甘くはありませんでした。

どの塾でもそうだと思うのですが、
合格実績は次の年の生徒数を決める指標になるため、
この高校は何名合格を目標、といった目標設定が課せられると思います。
私の部署は特に難関高校入試に特化した部署だったこともあり、
公立最難関や大学附属に対しての合格目標が課せられていました。

入試の前哨戦といえば模擬試験になると思います。
模擬試験では多少の厳しさはあったものの、
1・2年目と同じくらいの状況でした。
そういう状況もあって私はより楽観的に考えてしまっていたのです。

その結果どうなったか。結果は散々でした。
与えられた目標の2割程度しか合格させられなかったのです。
結果に対して謝罪の電話を1件1件かけていきました。
どのご家庭も悔しさをにじませながらも、
結果を受け止めようとされていました。
そして、最後の1件。この時に人生最大のクレームを受けたのです。

このご家庭の生徒は成績上位者クラスにいました。
模擬試験の結果は良好で、合格見込みも十分ありました。
ただ、気になったのが理社だったのですが、
理社に関しては別部署での担当だったため、
特に大きな対策などをせずに過ごしていました。
その結果、公立の自己採点をすると、
理社が思うように取れず合格が厳しい状況になったのです。
このご家庭からは「絶対に公立!」といわれていたこともあり、
少しでも受け止めてもらいやすくするために、
自己採点後に電話をしました。
これが最大クレームの引き起こすこととになったのです。

意を決して、そのご家庭に電話をしました。
不合格になってしまったことを詫びたとたん、
その家のお母さんから怒号を浴びせられました。
内容としては、理社が苦手とわかっていたなら、
なぜ早く言わないのか、言われていたら家でも何かできることをした。
それに、結果が出る前に落ちたと思わせる電話をしてくるなんて、
常識としておかしいのではないのか、と。

お母さんのおっしゃることはすべてが正しく、
私はひたすらお詫びをするだけでした。
そんなやり取りが1時間あり、電話を切りました。

やり取りを見ていた周りの先生からは、
励ましの言葉をもらいましたが、
この時の私は、とにかく自分の甘さを痛感し、
今後、このようなご家庭を絶対に出したくない!
と強く思ったのです。

このクレームから私が得たことは、
1人1人と向き合って、何が必要かを考え、
行動する力
が足りていなかったということでした。

この生徒は先ほど記載の通り、
理社が苦手でした。
「絶対公立!」といわれていました。
であれば理社を合格点が取れるまで鍛える必要があったのです。
それを自分の担当教科ではないから、という理由だけで放置し、
他人に任せきりの状態でいたためこのクレームは発生しました。

この子を合格させたい!と思えば、
何が必要で何をすべきかがきちんと見つけられたはず。
しかし、それができていなかった私は、
きちんと子どもたちと向き合えていなかったのだと痛感しました。

次の年。もう2度と同じ過ちをしないと誓った私は、
公立志望者に対して理社を徹底的にやらせました。
その結果、今度は目標の3倍の合格者を獲得したのです。
もちろん理社を徹底的にやらせただけが要因ではありませんが、
出来ていないことを徹底的に追求した結果であることは、
間違いないと思います。

その後、異動し、一番大きな教室を任されるようになりました。
それは、この人生最大のクレームが無ければ起こり得なかったと、
1点の曇りなく思います。
その後も、1人1人と向き合い入試を乗り越えていきました。
もちろん残念な結果になることもありましたが、
私の中でこのご家庭以上に後悔する生徒はいません。
その意味ではもう2度と同じ過ちをしないということが、
多少なりは達成できたのかもしれません。
とはいえ、このご家庭、
この生徒の人生を大いに狂わせてしまった罪は深いです。
今後も大きな学びを大切にしつつ、罪を償いながら生きていきます。

3つの出来事がもたらしてくれたもの

この3つに共通していることとしては、
その時その時にできることを全力でやらなくてはいけない、
ということだと思います。

①であれば毎回の授業の準備を全力でやる
②であればどんな状態でも授業を全力でやる
③であれば自分の担当教科でなくてもその子に必要だと感じたことは全力でやる

書いたことは当たり前かもしれませんが、
でも、その当たり前ができていないことを、
この出来事はできてないよ、と教えてくれたのだと思います。

実際、この出来事の後は自分が成長したと実感する出来事がふえました。
最上位のクラスを担当できるようになったり、
私の授業を受けたいと言ってくれる子が増えたり、
保護者からも相談をいただけるようになったり、
何より多くの生徒が合格を勝ち取り喜んでくれました。

故に、この出来事は私にとってある意味で必然の出来事であり、
この出来事が無かったらと思うと、今ではぞっとします。

辛い出来事は誰にでもやってくると思いますが、
そこで逃げるのではなく、
どう立ち向かうかが大事なのだと思います。
もちろん私はこれらの出来事が起きた時、
とても悲しくなりましたが、
でも立ち上がれたのは、まず、

①自分事として捉えたこと
②同じ思いをする子(家庭)を生みたくないと思えたこと
③何とかなると思ったこと

の3つの気持ちを持てたからではないかと思います。

①自分事として捉えたこと
3つの出来事は誰かのせいではなく、
全て自分が招いた種だと純粋に思えたことが大きかったと思います。
起こる出来事に完全に自分が関与していない、ということはないと思います。
どんなに些細なことでも自分事として捉えられるかが成長に欠かせないことであると思い、
実行できたことが乗り越えられた要因ではないかと思っています。

②同じ思いをする子(家庭)を生みたくないと思えたこと
自分が改善しなければ同じ思いをする子(家庭)が出てしまう、
そのことの方が自分にとって恐怖でした。
そのため、もっと勉強しよう、
もっと子どもの状況を知ろう、
もっと家庭の想いをくみ取ろう、
そういう想いを強く描きながら仕事に向かいました。

③何とかなると思ったこと
ずっといいことが続く、ずっと悪いことが続く、
そういったことはない、というのはよく言われることだと思います。
ですから、何とかなる!という気持ちを持つことも大事だと思います。

こういう気持ちが派生して、
物事に対して全力で向き合うという学びにつながったのだと思います。

この出来事と学びを大切にして、
これからも頑張っていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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