「また会いたい奏者」の条件【メンタルブロックストラテジー・Vol.651】

とても演奏能力はあるのに,
あまりいっしょに

演奏していても
楽しくならない人

演奏能力はそれほどでも,
いっしょに演奏していて
とても楽しい人

この違いは,
いったいどこから
来ているのでしょうか?

そして,あなたもこんなことを
ジャムセッションで
感じた事はありませんか??

これは私は

「どうもその人の
普段の言動にかなり
左右されるのでは…?」

と,色々なジャムセッションに
行けば行くほど,

強く思うように
なりました!

元々,ジャムセッションとは

「参加者さんの
演奏能力・実力は
全く関係なく,

誰でも演奏でき,
ステージに参加できる」

はずのものなのですが…
はたして,そこに

明確な参加資格の
ようなものは
あるのでしょうか?

これは何を隠そう
私も,実際に

セッションホストを
していてよく
聞かれる質問で,

一応私としては

「楽しく一緒に音楽を
演奏できる事」

に加えて,

「他の参加者さんと
音楽を通じて

コミュニケーションを
する『気がある』かどうか」

ということに
尽きるのではないかと
思うようになって来ました!

これは,実生活においても
会話による
コミュニケーションの取り方と,

とてもよく似ている
要素に思います!

「人の話をよく聴いて,
それに対して自分の言葉で
それに沿った返答をする」

そういった
コミュニケーションが
上手な人ほど,

やはりセッションでも
相手の音を聴いて

「今,演奏で何を
すればいいか」

「今,この場のために
何ができるか」

という視点で,
できるだけ演奏
しようと努めて
おられるはずなのです!

結果,演奏能力の
差こそあっても,

そのアウトプットの
やり方が的確なので,

そういう人ほど
好かれやすい…つまり

「また会いたい
(一緒に演奏したい)」

と思ってもらえるように
なるのではないかと
思います!

反面,

「人の話を聞いていない」

「セッティングに
異様に時間がかかる」

「ソロもやりたいだけ
やるあまりに
冗長になってしまう」

「独りよがりな選曲を
ゴリ押ししてしまい,

その割に譜面などの
準備をしていない」

「テクニックを周りより
持っている事を誇示して

他の参加者さんを
圧倒しようとする」

という人が,果たして
セッションで

「あの人とはもう一度
一緒に演奏してみたい」

と思われるでしょうか?

これは,会話の時に

「人が喋ろうと
しているのに

会話を遮って
自分の話ばかりする」

「自分さえ楽しければ
それでよく,

他の人がそれで本当に
楽しめているのかどうかが
想像できていない」

ようなモノですね…

あなたは,そんな人と
一緒に演奏したいですか?

昔のJazzの世界の名言で

「また会いたい人なりなさい。
そうすれば,また

聴きたいという演奏が
できるようになる。」

というものが
あるそうなのですが,

これはジャムセッションにも
大いに当てはまる!

少なくとも私は
そう思っていますし,

そうありたいと
思っています!

もちろん,Jazzの
世界だけの話では
ありません!

この話の結論的には,

「テクニックを
持っていても,

それを自己顕示に
使った瞬間,
ほぼ確実に嫌われる!」

「逆にテクニックが
無かろうが,

場全体をよく
捉えようとし,

コミュニケーションを
楽しめば,自ずと
世界が広がっていく!」

という事になります!

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