【短編小説】革命被害者

2150年4月23日、40歳の俺は無職になっていた。
22世紀革命と呼ばれる程の急激な科学技術の進歩により、俺が勤めていた車工場は機械化が進み、感情や体調によりムラがあり、何より金がかかる人間である俺らの仕事はすべて機械にとって代わられた。

去年の夏の終わりに解雇通知をうけ、工場で働きながらも、人間である俺の働き先を解雇日までに一生懸命に探したが、その努力も虚しく晴れて無職となった。

22世紀革命はなにも機械が活躍する社会にだけ影響を与えたわけじゃない。
今じゃあ世の中のどこもかしこも環境問題だの健康的な生活がどうとかで、体に害がほぼない電子たばこが開発、日本全体に普及した。
さらに政府が電子たばこを生産する企業には大型の補償や支援金の補助にも乗り出した。
そんなもんだから俺愛用の紙たばこの値段は約100年前から5倍に上昇しているらしい。
愛用していると自負するぐらいだ。毎日でも吸いたいのが本音のとこではあるが、そもそもこんな高値で社会的にイメージの悪いたばこを売る店舗も減少。
いまじゃあ物好きか、まだ紙たばこに男のロマンを感じるようなたばこ専門店みたいなとこでしか買うことがでない代物になっていた。

そんなこんなで無職な俺も残念ながら安くて無害な電子たばこを咥えて公園で一息ついているわけだが、
何も無職を良いことに昼間っからだらだらしているわけじゃあ決してない。
ただ少し世の中につかれちまったのさ。
昼間に公園で一服しながら休憩するぐらいの自由はあってもいいだろ。
科学技術が進もうとも子供の体の健康を守る運動場所確保のために、公共公園は年々増加しているらしい。
小学校の頃の歴史で感染症の新型コロナウイルスの勉強をしたが、その時のコロナ前とコロナ後の公園や街の比較の写真をよく覚えてる。
コロナ前には多くの子供たちが公園で元気に遊ぶ中、コロナ後は全く人がいない様子が写っていた。
それから100年以上たった現在では、子供たちはコロナ前の写真のように放課後や夕方は元気いっぱいに遊んでいるのをよく見にする。実に良いことだ。
俺も昼間にだだっ広い空を見ながら一服できる公園が増えるのはのはいいが、子供の健康のために紙たばこを公園で吸うのはもちろん禁止。

電子たばこに明らかな不満があるわけじゃあないが、何か満たされない。
あの紙たばこでしか満たされない何かがある、これは俺の中の変えようのない事実であり、この世の真理だと思う。

不意に「お隣いいか?」と肩を叩かれた。見たらそこには綺麗なスーツに身をまとい、整った髪型に真っ白な歯を見せ笑いかけてくる男がいた。

ぱっと見た年齢は身支度こそ俺とは全く違えど、人生経験上恐らく同じぐらいの40代であることは容易に想像できた。

普通なら「何この人?こわ」って感じるとこなのだろうが、心身ともに疲れ切っている自分にはもうどんなことが身に起きても、「死ななきゃとりあえず大丈夫か」と思うぐらいにはこの出来事に対して冷静に受け取ることが出来た。

体を少し長めなベンチの右により手を出して「どうぞ」と答えた。「ありがとう」と力強く明るい声が返ってきた。

男「あんた名前を聞いても?」

俺「橘(たちばな)です」

男「そうか、俺は堺(さかい)ってんだ、よろしく」

そういうと男は持っていたホットコーヒーの缶を開け、一口飲んだ。

堺「あんた無職かい?」

俺「ええまあ、車工場に勤務していましたが機械にとって代わられちまったもんで、最近晴れての無職になりました」

堺「あーなるほどな。ここにも22世紀革命の被害者ありか」

俺「まあ、そんなところです」

堺「次の職のあては?」

俺「いろいろ探しましたが、どうにも性に合わないもんばかりで。結局決まらずじまいで今に至ります」

堺「そうかあ。まあ工場勤務から自分がやりたい職業見つけるってのもなかなか難しい話だからな」

そういうと堺はまた一口、コーヒーを口にした。

堺「あんたその胸ポケットに入ってんのはもしかして紙たばこかい?」

俺「ええ、よくわかりましたね」

堺「まあ俺も若いころは紙たばこ派だったからよ。今じゃあ物好きと出会わない限りお目にかかれない代物だがな」

俺「そうですね。俺も電子たばこなんて吸っちゃあいますが、ほんとは紙たばこ蒸かしながら、今日みたいな良い天気の外を散歩したいんですがね」

先ほども言った通り紙たばこを明らかに体の害とする風潮が強くなってしまった社会では、法律的に紙たばこを私有地以外で吸うのを禁止と定めている。
つまり自宅や所有している庭から一歩でも出て紙たばこを吸おうもんなら即刻犯罪者の烙印を押されるわけだ。
まあ所持しているだけなら大丈夫らしいが。

しばらく無言でお互いがコーヒーと電子たばこを口にする時間となった。その間俺はなんで堺が話しかけてきたのかをずっと考えていた。
結果、昼休憩に公園でコーヒーを飲もうとしたところ、たまたま電子たばこ咥えてる暇そうな同年代がいたんで、話し相手にでもなってもらおうと考えた。という思考落ち着いた。

そろそろコーヒーを飲み終わりそうな頃合いに堺が口を開いた。

堺「その紙たばこはどこで買ったんだ?無職のあんたには手が出ないような代物だろ?」

俺「退職金を少し使って買ったんです。昔から馴染みのたばこ店があるもんで、そこのよしみで少し安くしてもらって。
あと会社側も解雇って形のもんだからバツが悪いのか、通常より多めに金を出してくれたもんだからとりあえず生活には困ってません。
でもこれが人生で最後に買ったことになるかもしれない紙たばこだと考えると、なかなか吸えなくて。結局まだ一本も吸ってません」

堺「そうかあ」

堺はそう言って小さく俯くと、堰を切ったように口を開いた。


堺「橘さん、あんた俺の会社来いよ」


二か月後、俺は堺の電子機器修理工場で働いている。
あれから何があったかというと、あの言葉通り堺の経営する会社、正確には工場で働かないかという誘いだった。
戸惑いが隠しきれない俺に堺はいろいろ説明を始めた。

まず堺の両親は全国的に成功している不動産会社の社長で幼い頃から裕福な暮らしをしていたらしい。
その後大人になった堺は当たり前のようにその会社を継ぐわけだが、堺自身は機械の類が昔から大好きで、よくその有り余る金を使って幼少期から部品を買い、ちょっとした電子機器を作るなどをしていた少年だった。
その性は成長しても変わらず、本業の不動産会社を経営しながらも機械に携わる事業などに積極的に取り組んでいたらしい。
しかし22世紀革命により、失業者が大幅に増加したことを知ると、工場で働いていた人たちのおかげで日本はここまで発展することが出来たのに、それをいきなり用無しにしてしまうのはあまりに残酷だということで、主に22世紀革命による失業者を対象に自分の企業で受入れて、多種多様な事業や子会社を持つ堺グループのどの分野で働くのが良いか見極め、それらに配属したり、また本人に働きたい企業や業種が決まっている場合にはそれにつけるような支援をしたりなどしているらしい。
半ば社会問題となっている22世紀革命失業問題にここまで積極的に取り組めるのも、富豪の賜物なのであろう。

まぁ今の話のように、俺のみたいな無職を自社で受け入れるのは当たり前のようにしていたらしいが、今回は少し妙らしい。
秘書に聞いたところ失業者の受入れをしているのは事実だが、基本的に受け入れているのは希望者だけだという。
このご時世、失業者を保護しようと活動する団体など山ほどあり、個人個人が自分にあった企業に支援の希望を出すのだそう。
しかし俺の場合は社長である堺自らそのような人間を連れてくるのは今まで一回もなかったらしい。

まあそんなこんなでありがたく就職先が見つかったわけだが、これがまたありがたいことに電子機器修理工場である。
もともと俺が車工場で働いていたのも、堺と同じく機械や電子機器などを好む人間であるためだ。特に車は強く惹かれ、子供のころから車メーカーのカタログは多く集めていたし、一般向けの新車展示会などにも積極的に参加していた。
この心躍らされる車を間近で見て組み立てたい。これに関わる仕事に就きたい。
ということで前の職場に就職した。
無職になる直前に長年乗っていた愛車は売ってしまったが。

しかし何も心躍らされるのは車だけではない。
堺が連れて来てくれた電子機器修理工場では、現在メーカーなどで生産していない家電や電子機器などを独自に修理するというものであった。
俺にとっちゃこれらも同じ機械。
今じゃあお目にかかれない珍しい機械をいじれることに興味は惹かれた。

例えば今はもう生産されていないCDプレイヤーがあるとして、それが家族との大事な思い出の品だとする。
壊れてしまって修理したいが、いかんせん昔にそのCDプレイヤーは製造終了。
メーカーもそんな昔の型のCDプレイヤーなど修理に応じるわけもない。

そんな人たちのために、自社で壊れた部分を見つけ、必要な部品があれば揃えたり、はたまた自社オリジナルで足りない部品を作ってしまい修理をしたり、このようなことをしてその一つの思い出を修理する工場であるのだ。

これは最新の機械化が進んだ工場ではなかなか難しい。
ここに持ち込まれる機械は冷蔵庫や洗濯機の家電の類から、先ほど言ったCDプレイヤーや古い型のスマートフォンなど、多種多様である。
そもそもどこが悪いかなどは、結局人の目でしっかり確認していくしか方法はなく、一つの機械でこれら多様な機械のどこが悪いのか正確に判断する技術はもっとAIの研究が進まないと不可能と言われている。

つまりこれはまさしく機械にはできない、俺たち人間にしかできない仕事なのである。

まぁ今の俺に至る経緯はこんなところだ。
この工場は日本を代表する不動産会社が経営しているとは思えないぐらい小さく泥臭い工場ではあるが、それでも自分の気に入った機器や家族との思い出の品などを修理して欲しいという要望は全国に溢れている。
工場が潰れずに俺たち社員がそれなりに食っていけるだけの利益は全国から集まってくるって訳だ。
そしてそんなもの達を修理して渡した時の、あの笑顔や感謝の手紙は生き甲斐を感じさせてくれるものだ。

ある日俺は堺の車に乗せてもらい出かけることになった。先述した通り俺と堺は性格的に馬が合う。機械や幼少期にお互いハマったロボットアニメの話などを酒の肴に飲む仲になっていた。
社長と社員という関係ではあるが、その時だけは確かに俺らは友だった。

着いたのは堺の実家であった。当たり前だが誰がなんと言おうと豪邸としか例えられないような大きさであり、迫力のある家というのは言うまでもないだろう。堺に案内されたのはその敷地にあるある建物だった。

そこにあったのは大きな倉庫のような建物だった。
大きなシャッターがあるところを見るところ車庫のように見える。

俺「ここは?」

堺「俺の愛車の車庫。まぁとりあえずこれを見てくれ」

堺はその大きなシャッターを開けた。
そこにあったのは広いスペースに反して黒塗りの古い外車のオープンカーが一台、ポツンとあった。

俺「これは驚いた。これめちゃくちゃ古い車じゃないか?」

堺「ああ、80年前に売られてた車らしい」

俺自身車好きだった幼少期の影響でカタログで同じような車を見たことあるが、それよりさらに古いオープンカーであるのは間違いない。

堺「これは親父に聞いた話だが、このオープンカーは俺のじいちゃんの愛車らしい。
親父もよくこの車に乗せてもらってドライブに出かけてみたいだ。
じいちゃんが死んだ後も時々それを思い出して親父も乗ってたって聞いてる」

堺は軽く手のひらを車のボンネットに乗せ俯きながら話をつづけた。

堺「俺も子供のころから親父にこのオープンカーに乗せてもらって風を感じるのが好きだった。
だがそれが気軽にできない時代に、いつの間にかなっていた」

それが気軽にできない時代。そう22世紀革命である。
22世紀革命によりガソリンを使わない車が急激に普及した。そのため政府はガソリン車の製造と公道の走行を禁止とした。
それ以外にも紙たばこが禁止になったり、プラスチックのストローが禁止になり全面的に紙ストローのみの使用が認められたり。
これはマナーではなく法律として、そう社会のルールとしてこれらが出来上がってしまっているのだ。
つまり22世紀革命によりそれまで当たり前になっていたものが「古い過去の物」ではなく、「悪の物」になってしまっているのだ。

堺「おれもある程度成長していい大人になったころにはこの車は道を走れなくなってた。社会のルールとやらのせいでな」

目を閉じた堺は続けた。

堺「もちろん今の車に不満はない。環境にもよくて、静かで、燃費が良くて。何も不満はない。
だがな、俺も心の底ではガソリン臭くて、燃費が悪くて、笑っちゃうくらいうるさくて、そんな車が好きなのかもな。
だってその方が男のロマンってやつを感じるだろ?」

堺は満面の笑みを見せた。もう乗れない。ただの思い出と化した愛車に満面の感謝を表すように。


車庫の外にでて空を見ると雲一つない快晴であった。
こんな日はたばこが吸いたくなる。堺と出会った日みたいに。

俺「たばこ、吸ってい良いか?」

堺「ああ、いいぞ」

俺「お前も吸うか?」

堺「はあ?お前電子たばこ何本持ってんだ?」

俺「いや紙たばこ。ここ私有地だろ?お前も吸うか?」

堺「…いいのか?」

俺「ああ、吸ってくれ」

俺は大事にポケットにしまってた紙たばこの中身を2本取り出し1本を堺に渡した。
お互いにライターで火をつけて肺いっぱいに煙を吸い込んで、吐いた。

堺「あの日お前に声をかけたのはお前も同じだと思ったからだ」

俺「どうゆうことだ?」

堺「体に悪いっていう理由で禁止されている紙たばこをわざわざ箱で、
大事そうに胸ポケットにしまってたお前は、
心の底では俺と同じだと思ったんだ」

なんだか胸がすっとした。
そうか、紙たばこが俺にとっての男のロマンだったのか。


空を見上げながら、俺は今日一番大きく煙を吐いて、笑って言った。

「あぁ、同じだ」

※この物語はフィクションです。実際の人物や団体とは関係ありません。

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