【DANCE×Scrum!!!へのボイコットはどこへいくのか 分かれるPACBIへの評価】


※この記事は「PACBIに対して事実誤認やヘイトと思われる表現を含んでいる」という指摘を受けました。
それに対する乗越たかおの応答は、noteの別記事に、抗議の内容と共に掲載し、その応答を掲載していますので、そちらも参照くださいますようお願いいたします。

「ボイコットのnoteへの抗議」に関する応答について

※この「旧note」は、検証のため一時的に開いているものです。
一定期間が過ぎたら再び閉じる予定です。

また大前提として、私はイスラエル政府による長年のパレスチナに対する「天井のない監獄」化、アパルトヘイトや不法な入植等といった一連の政策、そして現在進行中のジェノサイドに対しては一貫して反対しております。

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(以下、旧記事)

●フェスティバルへのボイコット


ダンスフェスティバルであるDANCE×Scrum!!!がイスラエル人ダンサーを招聘したことについて、PACBIのガイドラインに基づく抗議があった(PACBIが直接抗議したわけではないので、タイトルを変更しました)

オレは評論家として「戦争や犯罪を肯定するような作品は全力で反対するが、そうでないアーティストの自由な発表の機会そのものを奪うべきではない」という立場なので、与しない。
しかしウクライナの時ですら、排除されるアーティストはロシアの攻撃を支持するような発言をした人たちだけだったが、今回は内容は関係なく、ほぼイスラエル人だというだけで抗議の対象とされた。そこがポイントになってくる。

PACBIは多大な功績と同時に、昨今ではその手法に身内から反対意見も出ている。イスラエルや中東を含め長年海外のダンスやアートを紹介してきた身として、見解を述べておこう。

現在もイスラエル軍によるラファへの攻撃が継続されており、ガザで行われている紛れもないジェノサイドは一日でも早く終わらせなければならない。

パレスチナ人へのジェノサイドを止めるために必要な視点の転換についてオレが書いたものがこれなので、

「アメリカの大学生が生み出した、ジェノサイド状況を見通す視点」
https://note.com/nori54takao/n/ne43af7d48688

まずはそれを読んでからもらえるとありがたい。

とくに抗議の根拠となっているPACBIを含むBDS運動の背景と、批判も含めて国際社会で二分されているその評価について説明しよう。

● BDS運動とPACBI


PACBIとは“Palestinian Campaign for the Academic and Cultural Boycott of Israel“のことで、2004年にパレスチナの学者のグループによってラマラで設立された。
PACBIは「BDS(ボイコット・分離・制裁)運動」の一部といえる。

イスラエル政府のパレスチナ人に対する長年のアパルトヘイト政策、暴力的な占領、現在のガザでのジェノサイドの中で、パレスチナ人が生み出した「文化的手段を通じてイスラエル政府に圧力をかけ、政策を変更させる手段」である。
暴力によらず、合法的な非暴力的手段であることは最も優れた点であり国際的にも評価されている。

しかし20年を経た現在、国際社会におけるPACBIの評価は、二極化しているのも事実である。

反対者は、PACBIの手法には、ときに偏見が見られ、イスラエル人とパレスチナ人の建設的な対話と協力を妨げ、紛争の平和的解決を妨げていると主張している。

オレもPACBIをリスペクトしているが、現在の手法や主張の仕方には、現代の多様性に満ちた状況の中で、かえって賛同者を得にくくしている面もあると思う。
後述する「スタンディング・トゥゲザー(イスラエル国内でガザ停戦のための平和活動を行っている団体)」を、PACBIがボイコット対象として指定したことが、「イスラエル政府に利することをしているじゃないか」と抗議を受けているなどもそのひとつだ。

●大使館クレジットは関係ない?

まずはDANCE×Scrum!!!ついて見てみよう。

「チラシなどにイスラエル大使館の後援クレジットにあった(それを外した)」ことなどが議論になっていたようだ。
しかしこの抗議がPACBIのガイドラインに基づいている以上、大使館のクレジットの有無はたいした問題ではない。イスラエル人アーティストである時点で、ボイコットの対象になることはほぼ決定なのである。

PACBIは「イスラエル人やユダヤ人の出自やアイデンティティを理由に」個人をボイコットするものではなく、対象は「共犯関係であって、アイデンティティではない」といっている。
しかし公の集まりでスピーチやパフォーマンスをする人々は、「個人が何を考え、何を望むかに関係なく、彼らの国旗を代表している」と見なされるとしており、そもそも世界中で、住んでいる国の公的な助成金を全く受けずに活動しているアーティストはまずいないので、実質的には、
「イスラエル人がダンス公演をするというそれだけで、内容や個人とは関係なくイスラエル国家を代表する行為だと見なされ、招聘元にボイコットを要求する対象となる」
のがPACBIの基本姿勢といえる。

じっさい、インバル・ピントが関わる『未来少年コナン』には大使館のクレジットはされていないが抗議を受けている。ホリプロならイスラエルからの援助なく、経費は全て自分たちでまかなえるだろうが、本質はそこではないのだ。

●全てがプロパガンダなのか

PACBIは「イスラエル政府の公的な資金を得ているものは、全てイスラエル政府を肯定するプロパガンダだ」という。
しかしそうだろうか。

たとえばイスラエルの「インターナショナル・エクスポージャー」という、国の予算で開催されるフェスティバルでは、海外のダンス関係者に向けて、イスラエル政府を批判する作品は、過去にいくらでも上演されてきた(*1)

今回はさらに「イスラエル大使館は、助成と引き換えに、アーティストにイスラエル政府を応援するよう要請している」ということがまことしやかに語られたが、これはもはや、イスラエル憎しのあまりのトンデモの類いの偏見だと思う。

過去に、スイスの国際ダンスフェスティバルCULTURESCAPESのディレクター、ジュリアン・コーイマンはこう言っていた。
彼のフェスティバルが招聘したイスラエルのアーティストの公演を「プロパガンダだ」と反対した人たちがいたので、イスラエル人アーティストを招いて対話する場を持ったそうだ。
コーイマンは言う。

特にイスラエルのアーティストは、私たち以上にイスラエル政府に対して批判的で、私たちが口にできないようなことも平気で言いますからね。」
私たちは日常では知ることのないイスラエルのアーティストの生きた考えを聞くことができ、素晴らしい経験となりました。

ジュリアン・コーイマン
https://performingarts.jpf.go.jp/article/6740/

海外でイスラエルのアーティストと直に触れている人なら、ほとんどが同意するだろうと思う。
おそらくは北朝鮮のように「宗教や国家の意向でロボットのように言いなりになる連中」というイメージで語りたいのだろう。しかしそんなおとなしい連中ではないのだ。

逆にオレは「インターナショナル・エクスポージャー」で数百に及ぶダンス作品を見てきたが、「イスラエル政府を支持するような作品」など、ただの一つも見た覚えがないのだが。すくなくともダンス作品で、そんな作品があるのなら、ぜひ教えていただきたい。

もちろん来日作品でも(*1)で述べたヤスミンやレナナの作品はそのまま上演されている。ダンス以上にイスラエル政府批判が盛んなのがイスラエル映画の世界だが、監督が自らのイスラエル兵としての戦争体験の虚しさを描く映画『戦場でワルツを』なども、イスラエル政府を批判する作品が、イスラエル大使館の後援でふつうに日本で上映されている。

そもそも「大使館から命令されたら、アーティストはその通りにするに決まっている」というのは、アーティストの自立性に対する著しい侮辱ではないか。愛知トリエンナーレをもう忘れたのか。今回の抗議者の中にはアーティストがいるようだが、彼はアーティストに対するこんな偏見を受け入れたうえで抗議しているのだろうか。

パレスチナの人々にとって、まさにイスラエル人イスラエル国家とはそういう存在だろうし、そう主張するのもわかる。それだけのことをされてきたことは疑いようがない。

だがアートに関わる者として、「アーティストなんてそんなものだ」という言説には、同意するわけにはいかないのである。

そもそも、そうやって「もともとあった形から、大使館の要請によってイスラエル政府に都合がいいように変更されたアート作品」って、実在するのだろうか? ぜひ教えてほしい。

「イスラエルの作品はパレスチナ人の犠牲に上に成り立っているから全て認められないのだ」というのもよく聞くが、本来はBDSも「反シオニストであるユダヤ人やイスラエル人との関わりは認める」とするのがタテマエになっている。

では「イスラエル人の作品でも、親パレスチナの作品ならボイコットしないだろう」と思うだろうか? アートにおいて、まずそれはない。
実際には作品の内容とは関係なくボイコットされるのはすでに見てきたとおり。
さらには後述するように、「イスラエル在住のパレスチナ人」が「親パレスチナのイスラエル人」と協働した場合ですらボイコットの対象になる。 イスラエル人がイスラエル批判をする作品を作っても、後に述べるようにPACBIは「イスラエルが多様性のある寛容な国家であるかのように見せかけるノーマリゼーションである」というからである。

(*1)たとえばパレスチナとの検問所を舞台に、銃を突きつけられたまま引き伸ばされた時間で終わりのない苦痛を視覚化したヤスミン・ゴデールの『ストロベリークリームと火薬』。
アルカディ・ザイディス『アーカイブ』は「イスラエル人によるパレスチナ人への暴力を監視するため日常生活を撮影するカメラを提供するイスラエルの団体」の映像を使った作品。反パレスチナと親パレスチナでイスラエル人同士で衝突する姿も描かれている。
レナナ・ラズ『WART』は継続的な戦争状態に置かれた人が壊れていく様を描いた作品。

●「もっといい方法」があるのだが

では具体的にPACBIが、逆に「イスラエル政府の方針に寄与してしまっている」と批判されていることについて触れていこう。

PACBIを支持する人の心情は理解できる。ひどい状態に置かれ続けたパレスチナの人々と連帯し、その痛みと怒りを共有しようという高潔なものだと思う。

しかしオレは、前述したように、「とりあえず目の前のジェノサイドを止めるには?」という目で見直していきたい。そのために、ひとりふたりのアーティストをボイコットするより、もっと希望が持てそうな方法があるのだが、聞いてもらえるだろうか。

ニュースでも報じられているが今年4月にはイスラエル全土で、ガザでのジェノサイドを非難する抗議デモが起こっている。
どれくらいのイスラエル人がガザの侵攻に反対するデモに出たかご存じだろうか? 
数千人規模だろうか?

テルアビブだけで10万人である

もちろん周囲を「ハマスに誘拐された人質を取り返せ!」というイスラエル人に取り囲まれる、「裏切り者!」と言われる状況の中でこれだけの人が集まるのは、とてつもなく勇気のある行動だと思う。
それでも、パレスチナの人々のためにデモに参加した人イスラエル人が10万人いるのだ。
そこにはユダヤ系イスラエル人と、大多数のパレスチナ人と同じアラブ系の住民も含まれているだろう。

オレが彼らに期待しているのは、彼らイスラエル国民(イスラエル在住のアラブ人も含む)は、「ネタニヤフ首相を引きずり下ろす選挙権の一票」を持っているからである。

現在のネタニヤフ政権は連合政権で基盤は弱く、単独で政権を維持できないから右派と組んでいる。
しかもこの長引くジェノサイドで、イスラエル国民の「ネタニヤフ離れ」は加速していっている。退陣に追い込む風には確実に大きくなっているのだ。

「ネタニヤフが退陣したところで変わらないのでは」、と思うかもしれないが、希望がないわけではない。
2005年に、当時最も暴力的だと思われていたイスラエルのアリエル・シャロン首相が、ガザ地区全域とヨルダン川西岸の一部からのユダヤ人入植地の撤退させ、世界を驚かせたことがあるのだ。

このため約8500人のユダヤ人入植者がパレスチナから退去し、ヨルダン川西岸の小規模入植地も解体された。そして軍も全面撤退し、世界中が「マジか!こんなことがおこるなんて!」と驚愕した。
それは、実際に起こっていることなのだ。
(その後ネタニヤフ政権が再び違法な入植を始めてしまったのだが)。

●戦争を止める新しい希望、なのにボイコット指示

さらにはイスラエルでは、2020年のクネセト(立法府)選挙で、アラブ・ジョイント・リスト連合というアラブ人政党が第3位になり、発言権を増している(*2)

「ジェノサイドを止めるためには、ジェノサイドを止めたいと思っているイスラエル人やアラブ人が、人種の垣根を越えて協力すればいい」
と思わないだろうか?

じつは、それを訴えている組織はすでにある。。
イスラエルの平和団体「スタンディング・トゥギャザー」である。ユダヤ人とアラブ人の共同活動家グループだ。

彼らは一貫してイスラエル・ハマス戦争の終結を訴え続け、イスラエル・パレスチナの和平のための新しい努力を呼びかけている。
イスラエル国内で最も大きな存在のひとつであり、5,000人以上の会員は増え続け、進む「ネタニヤフ離れ」の受け皿となっている。
「人を殺したくない」という当たり前の感情が、イスラエルの中で大きな存在になっているのである。
特にリーダーの2人、アロン=リー・グリーンとサリー・アベドはネットを通して国際的な注目を集めている。

この連携には大いに希望がある。

しかしPACBIは「スタンディング・トゥギャザー」を認めていないのである
それどころか、彼らをボイコットするように世界に訴えている。

なぜか?

(*2)イスラエルにはアラブ人もいて、選挙権を持っている。2020年のクネセト(立法府)選挙では、アラブ・ジョイント・リスト連合がイスラエル議会120議席中15議席を勝ち取った。ネタニヤフ首相を党首とする保守系リクード党の36議席、そしてベニー・ガンツを党首とする政党連合「青と白」の32議席に続く、じつに第3位である。
少子化が進むイスラエルに対してアラブ人は多産なので、「いつかパレスチナ人がイスラエル政府を掌握する日が来るのでは」と、あながち冗談ではないかも、と言われているほどだ。

●なぜ協力させないようにするのか

なぜPACBIは「スタンディング・トゥギャザー」をボイコットするのか。

「パレスチナの大義」において、ユダヤ人国家イスラエルが殲滅の対象であることは大原則として共有されている。ハマスはもちろんだが、暴力的ではないPACBIやBDS運動であっても、そこは変わらない。
共存などありえないから、PACBIは「ユダヤ系イスラエル人とパレスチナ人が協力する」ことにPACBIは長年反対してきた

「イスラエルの中にも、パレスチナ人と友人になれる人はいる」というのは「イスラエルを寛容で多様性のある正常な国家として描こうとする行為」であり、イスラエル政府の「ノーマライゼーション」「イスラエルの漂白」に加担する行為だとされる。

PACBIがボイコット先の招聘元に、イスラエルに関連する団体との断絶を要求するのも、日本人からすると過剰に受け取られるかもしれないが、こうした前提から導かれた当然の帰結と理解できるだろう。

「イスラエルという存在は消滅させるのだから、共存のための相互理解は必要はない。むしろ共存を前提にする和解交渉自体がイスラエルという国家の存在を認めるノーマライゼーションである」
というわけだ。
PACBIをちゃんと理解しようとするなら、そこを立脚点としないかぎり、彼らからすれば上っ面にみえるかもしれない。

しかし国際情勢、さらにはイスラエル国内の情勢も、様々に変化し、複雑化してきている。
PACBIの姿勢が、多様化する現実に即していないのではないかという批判は親パレスチナの中からも出てくるようになっている。

PACBIからボイコットの対象に指定されたスタンディング・トゥギャザー側も、

「スタンディング・トゥギャザーを沈黙させ、孤立させようとする努力はパレスチナの大義に役立つものではなく、我々を沈黙させようとしているイスラエルの政治体制の利益に役立つものである」

と声明を出した。
PACBIは戦争を止めることより自分たちのポリシーを優先させて、結果的にイスラエル政府と同じことをやってるじゃん」というわけだ。

ここで、もう一度思い出してほしいのだ。
https://note.com/nori54takao/n/ne43af7d48688
で書いた、

〉「親イスラエルと親パレスチナの問題というより、ジェノサイドの推進派と反対派との問題なのでは?」
〉どちらの国も「死にたくない、殺したくない」と思っている人がいる、という当たり前の部分が、「国や民族」といった大きな主語で語られだすと、とたんに違う内容にスライドさせられてしまう。

問題が複雑に見えたら、本質に立ち戻る。
ジェノサイドを止めようとしているのは誰か?

オレはスタンディング・トゥギャザーの方だと思う。
PACBIは理念も行動力も素晴らしいが、ときにイスラエルを怒りと憎悪の対象として広めるという手段が、自己目的化している印象を受ける。

オレも、「イスラエル人の中には、ジェノサイドに反対している人や、人を殺したくない人がたくさんいる。力を合わせて戦争を止めよう」と協力することが、阻止すべきノーマライゼーションだとはとても思えない。

「それは乗越たかおが日本人で、実際のパレスチナ人の苦しみを、なにもわかっていないからだ」という人もいるだろう。当たり前だ。パレスチナの人々の苦しみをわかっているなどと、口が裂けても言えるものではない。
しかしパレスチナ人やパレスチナ人のために長年協力してきた人たちのなかにも、オレと同じ思いを持っている人は少なくないのである。

●アートは希望のために扱われるべき

「ガザ市出身の誇り高きアメリカ人」で「親パレスチナ、反ハマス・暴力」を自称するアーメド・フアド・アルカティブは、Xの長い投稿でPACBIの声明を厳しく批判した。
https://twitter.com/afalkhatib/status/1750735227763511779?s=20

「ユダヤ人とイスラエルの同盟者を攻撃することによって、親パレスチナ運動に多大な害を及ぼしている
私はかつてBDSの支持者だった。」「しかしBDSの戦略が純粋に無力であり、イスラエルとシオニストは(略)単に孤立させられるだけだと思えてきて、BDSの戦略の変遷に幻滅を感じていた。

ザ・ガーディアン紙(19 Mar 2024)も、PACBIとスタンディング・トゥゲザーの軋轢を記事にしている。
https://www.theguardian.com/commentisfree/2024/mar/19/to-build-an-effective-movement-for-palestine-we-need-every-ally

双方の言い分を慎重に紹介した上で、同紙はパレスチナ人権活動家で作家のイヤド・エル・バグダディの言葉を引いている。

「この脱植民地運動は、植民地化された側が主導すべきものだが、この運動は両民族を中心に据え、両民族の未来を築くものでなければならない

これは「イスラエル人とパレスチナ人が仲良くするのはノーマライゼーションであり認められない」とするPACBIよりも、協働を訴えるスタンディング・トゥゲザーの見解に近い。

さらにガーディアン紙の記事自体も「運動の構築とは、すべての同盟者を受け入れ、彼らの話に耳を傾けることなのだ」と、広い連帯の必要性を提示して締めくくっている。

もちろん今まさに生命を奪われようという状況に置かれているパレスチナ人と、その原因であるイスラエル人との共存が、簡単にできるとは思えない。先述のパレスチナ人権活動家のバグダディも同インタビューで「これは10年や15年で解決できるようなことではないのです」と言っている。しかしその上で、諦めることなく「この運動は両民族を中心に据え、両民族の未来を築くものでなければならない」と続けているのだ。

日本には、今回のことで初めてPACBIやノーマライゼーションという考えに触れた人もいるだろう。
PACBIを含むBDS運動は大きなものだが、唯一のものではないことはわかっていただけただろうか。

繰り返すがオレはPACBIを否定してはいない。だがアートに関わる者として、オレは敵意を拡散することより、障壁を越えて理解し合う可能性を手放さない道を選びたい。そしてアーメド・フアド・アルカティブ同様、そちらの方が現実的に良い結果につながるとも思ってもいる。

すでに述べたように、この地で戦いが絶えない根本的な原因の一つは宗教である。オレが関わるのなら、世界でもめずらしい「宗教的に限りなくニュートラルに近い国民性をもっている日本人」という利点を最大限に活かしたい。
どちらかを打倒するためではなく、様々な考え方をする人がいて、かならず共存できるのだという希望に基づいて行動したい。

アートとは、そのためのものだとオレは信じている。
決して封殺されるべきものではない。


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