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キッザニアに抱く僕なりの耽美

 昨日の記事から何とかヤマを越えた。現在思考力は全くない。

思考力がない時は、ネタはあれど文章を長く書き上げるための余力も何もない。正直、早く布団に潜って寝てしまいたい気持ちだ。でも何か物足りないので、短文で想い出でもさっと書いてゆっくり休もう。

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 キッザニアに数回行った事がある。
子供たちのための職業体験アミューズメント施設であり、実際の企業がたくさんスポンサーとして名を連ねている、画期的で素敵な場所だ。

親として子供を連れて何度か足を運んだ事があるが、初めて足を踏み入れた瞬間、物凄いディストピア感を抱いたのを覚えている。

 子供たちはきっと何も考えず無邪気に世界に溶け込めるのだろうが、「建物の中に街がある」構造のせいか、僕ら大人の感覚で捉えると、いや、僕だけかも知れないが、一度世界が壊滅し、その後に人類が "滅亡前の世界を精巧に作り上げた世界" に迷い込んだかのような印象を抱いてしまった。

人工太陽に照らされ、かつての栄光をなんとかレプリカとして復元させた世界。大人たちはもういない。ここは子供たちが主役の街。

たぶん、最初に目にしたものが、"消防服を着た子供たちの一群が列をなして精悍な顔つきで進んでいるさま" だったからかも知れない。僕にとってそれは、「世界観を鮮烈に植え付けるための重要モブ」として十分な役割を果たしてくれた。

 閉館時に必ずかかる「スイーピングパレード(お掃除パレード)」という曲があるのだが、この曲がまた、僕にとって五本の指に入るほど優れた名曲で、初めて聴いた時、曲の構成やメロディが美しすぎて、軽く泣いた記憶がある。

おそらくどこのテーマパーク同士で対決しても、引けを取らない名曲だ。

その曲が、館内の音響効果も手伝い、どこか遠くから大聖堂のようなリバーブ感を伴って鳴り響く。

より一層退廃的な思いが胸いっぱいに広がる。

この感覚はディズニーランドの『イッツ・ア・スモールワールド』でも陥ったそれに似ている。希望の歌が聴こえれば聴こえるほど、より一層の虚しさに包まれる。この時に抱いた強烈な退廃感を思い出す。

不謹慎だが、とても好きな感覚なのだ。

リドリー・スコット、クリストファー・ノーランあたりの作品の中にでも入り込んだ気分。

「スイーピングパレード」は、施設に質問も投げかけてみたものの、残念ながら音源化されていないそうだ。これほどの名曲なのに。。

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以上、キッザニアの事を語り出したら全然短文じゃなくなってしまった。
全然キッザニアに対する健全で有益な感想は語っていないのだが、現在思考力がないので許して欲しい。

今日はこんなところで。


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