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フラグを立てる

 世界は不思議なもので、何かを終えると何かが始まる。

心のタスクを抱える総量が変わらないように、神みたいなものがバランスを調整してくれているのだろうか。なんせ不思議だが、一気にやることが押し寄せたとしても、細分化して一つひとつのスケジュールを冷静に組んでみると、実際は順列組み合わせ、百人組手みたいに敵を一人づつ倒して行けば大丈夫なように、見えない何かによってシステムをうまく組まれているような感覚を覚える。

おかげさまで、これまで何度もサジを投げかけた局面こそあれど、ほぼ全てにおいて自分なりに片付ける、風呂敷を畳むような筋通しはできているような気がする。どのような形であれ「終わらせる」ことに全力を注ぐのだ。

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 逆に、それを逆手に取り、やることを片付けて生まれた寸暇を使って、普段やらない何かに一気に手をつけたりする時がある。


冒頭でも言ったが、何かを始めるには何かを終える必要がある。それは、言い換えると「何かを終えないと、次の何かは始まらない」ということでもある。

だからこそ、何かを終える=フラグを立てるのだ。そうすると、新しい仕事の依頼だったり楽しいお誘いが来たりする。なので、僕はいつからか、こういった現象に対してそう呼んでいる。

最近でこそ世間にも普段使いの言葉として浸透していると思うが、ここで言う「フラグ」とは、プログラミング用語から来ており、RPGなどでキャラクターが一定の条件を満たすことにより次の展開へのプログラムが解かれる時に常套句として「フラグが立つ」などと言われることから使っている。

ある敵を倒すことにより、村のじいさんのセリフが変わり、閉じていた岩穴が開き次のエリアに行ける…みたいな按配だ。

この概念を採用すると、幸いにも何かしら声をかけてもらったり自分なりに思考の展開が動き前に進んでいる時は、"何かしらのフラグを立て続けている" 状態、逆に、遅々として同じところをぐるぐる回っているだけの場合は "フラグが立っていない" んだな、と解釈するようになる。

なんだかんだで優先順位が下層へ行ってしまい、先延ばしにしてしまっている頼まれごとだったり、いずれ暇が生まれたらやろうと思っている「実際暇が生まれてもやりそうにないこと」などを洗い直し、こういった機会にやってしまうと、その中のどれかが実はフラグだった…というように、見えない道が突然「すぅっ」と見えてくる時がある。

別にきっかけが決してそうじゃないにしても、そのように想像をしてみるだけで面白かったりする。

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 動きがないのは一見重要じゃないやるべき事をやっていないから?…ってのを考えてみても良いのかも知れない。いずれにしても損はないし。

今日はこんなところで。


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