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品のある人

 品のある人が好きだ。

僕の中で品のある人は、立ち振る舞いに一貫性がある人。

当然見た目の清潔さや姿勢も大切だが、それを超えた部分で「境目のない穏やかさ」を持っている人。こうした人は、いついかなる時も、ましてや人によって態度を変えたりしないので、安心して話せる。

そういう人が話す言葉は、機知に富み、自分自身の経験によって生み出された「自分の言葉」が主軸となっているので、話していてとても感化される。

言動にも一貫性があるので、意見の中にも配慮が行き届き、極端に他者を攻撃したり、無駄に「誰かを悪者にする」といった構図を作らない。
でも、大元の人格が滲み出ているぶん、下手に攻撃性強い人よりも、かえって言葉が重い。

「この人と一緒にいたいな」と思わせてくれるし「また会ってみたいな」と思わせてくれる。

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 「上品」でも「下品」でも、そこにある種「品」があれば、僕としてはアリなのかな、と思う。

例えば会話の中にちょっとした下ネタが挟まれたとしても、そこに「品」というものが少なからず存在していれば、むしろ状況に適したアクセントになり、ユーモアを通して場の活性に繋がるし、いい具合に会話の潤滑油となる。

品位すらもない、ただの下劣な下ネタは、"加減を知らずに人に怪我をさせてしまう素人プロレス" のようなものだと思っている。

品のある人は、その辺りを充分に察したうえで最大限気を配り、瞬間瞬間で最適な言葉選びを忘れない。「緩急」を知ったうえで、適切な語彙を使い分けている。

だから、ある時にはあえて極端な物言いをしたりもするが、その方が「人の心を動かす」事を知っているからなのだ。
品のある人は、カーブも豪速球もチェンジアップも、全て意識的に投げ分ける事ができる。

一言で言うと「神の視点から眺めたバランス」に神経質なほど感覚を研ぎ澄ませている。

常に油断をせず、自分が人からどう見られているか、また自分が自分をどう見ているか、全体最適のもと "自身の佇まいをコントロールし続けられる人" が、僕の中での「品がある人」だと思っている。

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 ひたすら「品のある人」に焦点を絞って自分なりの思う事を書き連ねたが、理想像や、実際のリファレンスとする人が僕の中でありがたくも存在してくれている。その人たちを思い浮かべながら、共通する立ち振る舞いをそのまま述べただけだ。

願わくば、僕も「品のある人」でありたい。

今日はこんなところで。

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