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お天道さまは見ている

 「お天道さまは見ている」という言葉がある。

良くも悪くも、自分自身の行動は誰かが必ず見ているから隠し事などせず生きていきましょう、などといった意味で良く使われている。

僕の場合は、この言葉が出てくるシチュエーションとして下記の場合に傾向を置くことが多い。

 例えば、自分なりにそれが決して誰の役にも立たず、直接成果に結びつかない時、一見前に進んでおらず、同じところをぐるぐる回ったり、決して終わりがこないんじゃないか?といった思考に陥りそうな時、わりとこの言葉を多用し発破をかける。そのうえで物事に対する誠実さを立て直す。

不思議なもので、見えないながらも誠実に各物事に当たることで、自然に全体が好転する場合がある。または、ふと振り返ると、長い道のりを実はちゃんとゴールに向かって進んでいた…という感覚を抱く局面がある。

隙間を見つけて気分転換する、もしくは自分が根底に置いてある「やりたいタスク」を短時間でもこなすことで、気づけば相乗効果的に物事全体が前進している場合もあるのだ。

筋トレだったり摂生、もしくは反復的な鍛錬作業も中々に辛抱が必要だ。

そうした時、または成果の定義に迷う時など、僕は「お天道さまは見ている」という言葉を都合よく頭の中に思い浮かべて色々な事に臨む。

自分のやったことが相手に感謝されなかったり、どこかに見返りを求めた姿勢を取ってしまった時も、この言葉をあえて発し、自分の中でバランスを取る。

 お天道さまは見ている。それはきっと内側の己が自分自身を見つめていることと同義。

だから、その自分自身に対し誠実に振る舞えるよう、今日も遅々ながらタスクをきちんとこなしていく。

今日はこんなところで。

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