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空気のような存在

 可能な限り、空気な存在でいたい。

一般的な比喩として使われるようなネガティブな意味はなく、あまりにも色々なものが分け隔てなく可視化されるこの世の中において、わざわざ必要のないところにまで顔を出して主張したり、いちいち反応して疲れることなく、淡々と生きていきたい。

まあ、「存在感」への渇望なども今現在特に二の次だったりするが。

 水や空気は、特に明確な形を持たない。その特徴ゆえに、どのような器にも入るし、どのような場所でもそこに居続けることができる。変化に対して柔軟なのだ。

そして、どちらも必要なものだが、当たり前すぎて「在る」ことに対しあまり重要視されない。僕自身も、正直その程度の認識の方が心地よい。

合気道のように、大きな流れに逆らわず、物事の力を上手く受け流して推進力にするような生き方で構わない。案外その方がストレスを感じずパフォーマンスが良かったりする。そしてそういった姿勢にシンパシーを感じるのか、理解してくれる人たちも、幸せなことに周囲にいてくれるから、僕は躊躇することなく空気でいられる。

 いつもこうしたことを考える時、僕は「ニーバーの祈り」を思い出す。

神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

今日はこんなところで。

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