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抽象度が高い人、具象度が高い人

 抽象度の高い視点で話をする人と、目の前の具体的な一例のみに焦点を当てて話をする人がいる。

僕は会話をしていて、その人との会話が「横に拡がる」感じを覚える時が好きだ。

 具体的な一例のみに焦点をあてて会話をすると、縦に深く掘り進める事は出来るが、会話のネタが「その事象のみ」で終わる事が多いので、話の充実度は案外薄い。

 抽象度が高いと、もちろん会話はその事象を中心に進んでいくが、事象自体の持つ傾向、習性などをもとにした形で、その話題のみならず別の当てはまる例などにシームレスに話題が移行していき、お互いの収穫物の共有が「横に拡がった」感覚でできる。充実度も高い。

 きっと、会話を通しての「学び」に変に飢えているのかもしれない。

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 音楽制作の際、制作のための「ホストアプリケーション」を数種類立ち上げて作業を進める場合がある。

Cubase を使ったり、場合によっては Live を使ったり、はたまたGarageBand を使う事もあったり。

 作る曲のジャンルや状況に応じてソフトを渡り歩くのだが、音楽制作ソフト自体が一つの大きな「ルール」や「基礎言語」をもとに操作出来るよう作られているので、その使い方さえ知っていれば、多少の個体差はあれど、操作にはそんなに困らない。

 具象に執着する人は、個体差の方にだけ視点を移すので、作業のたびに一から覚え直さないといけず、抽象度の高い人は、元のノウハウをそれぞれに当て込んだ形で動かすので、そんなに手間取らず作業を進める事ができる。

乱暴な例えだけど、そんな感じかも。

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 抽象度が高いと、会話から様々なものを受け取るようになる反面、すべてに対して意味付けをしないと気が済まないという弊害も生じる。

「この事から自分は何を学べるか?」にばかり注意が行ってしまい、度が超えるといちいち面倒くさい、悦に入り気味の自己啓発おじさんみたくなってしまう。これは注意しなきゃだ。

でも、そのようなメリットやデメリットを抜きにしても、抽象度が高い方が物事を多層的に捉える事ができ、やっぱりおもしろい。

アウトプットのための、インプットの視座は高く持っていたいと思う。

今日はこんなところで。


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