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分ける

 一人でいる時間をひときわ大切にしている。

昨年の後半、大規模な断捨離と同時に、皆の部屋をある程度大きく分けたことが、未だに良い効果を持続している。家族で集まる時間と一人で過ごす時間の精神的な均衡調整がとても大きく叶うようになった。

と言っても、僕の場合はすごく大げさに言うともとから書斎やアトリエみたいな感じで「作業部屋」を当てがってもらっており、一人時間を確保することが常なので、今回の場合は主に妻と娘が部屋をセパレートしたことが、皆にとってのストレス低減に大きく寄与し、結果的に全員が穏やかな気持ちを維持しやすくなっているのかも知れない。

部屋を分けるというという行為は、分かりやすく "意識を分ける" ためのスイッチ。うちの場合は、その意識を分けるための明確な儀式として「部屋を分ける」に至った。精神的にそれぞれが独立するには、何か目印や起動軸が必要だったのだ。

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 部屋を分けると、一日一日が同窓会めいた気持ちになる。

ひと作業終えてリビングに集合し食卓を囲む時に、各自がわりと素直に一日の出来事だったり今ハマっているものだったりを語り、聴く側も再会を果たしたあとのブランクを埋めるかのように、耳を傾けることができたりする。

家族とは言え、いち人間同士。一番身近なチームとして依存なく関係を維持するためには、やはり一般的な関わり合いでも大事な「スタンドアローン」感覚がどこかにないとバランスは取れないだろう。

特に思春期を迎え、様々な情緒の試練を受けているような娘にとっては、我々としても干渉と非干渉の間をうまく保ち続けるために、こうした精神的区分けのようなものも必要なのだ。

一人の時間は、適切に意見を育てることに力を貸してくれる。同時に、分けることで、僕ら親自身やたらべったりの視野狭窄を未然に防ぐことができ、できる限りフラットで俯瞰的な観察が叶うようになる。

見守り方にも、いろいろある。

今日はこんなところで。

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