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同じ穴の狢

 3月を振り返ると「実際的なアクションを求められる "流れ"」というものを非常に色濃く感じたような気がする。状況に対し、自分にとって放棄してはいけないアクションを起こすべき時、起こさないと先に進まない局面というものが絶えず訪れ、良くも悪くも刺激的な月だった。

同時に、実際的な行動や言動で他者と摩擦を経る機会が増えると、ちくちくと不満や鬱屈を面と向かって言わず、抽象的に自己の不遇を他者や環境の責任にすり替え語っている人に対して「なんだかなぁ」という思いも、どうしても膨らみがちにもなった。

面と向かって言えないことは確かにたくさんあるし、そうした「声にならない声」というものを吐き出せるのもインターネット上の一つの救済ではあると思うが、あらゆるセンシティブな問題と同じく、どこかにポジションを見出してしまうと、知らず知らず、より多くの心理報酬を得るために「不満を漏らすために不満を自己生成する」みたいな心境に陥る。

ご大層でもっともらしい理屈を語っていても、「この人はイマジナリーの中ではとても雄弁なんだろうな」ということを事あるごとに感じざるを得ず、案の定そういった人たちは、数値上の共感度数は高そうに見えども、本人としてはずっと満たされない思いを抱えたような垂れ流しが日を追うごとに増えていく。真意を汲み取って貰えないまま、なまじっか反応だけたくさん貰えるが故に、方向性の中毒状態に陥っていく。

そう考えると、「いいね」や「スキ」などで表せる "共感" という報酬はあまりにも残酷だな、と思う。

まあ、そんなことをここに書いている時点で同じ穴の狢(むじな)だったりするんだけど。

今日はこんなところで。

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