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戦利品とは、自分に勝った証

戦利品という言葉があります。

もともとは戦争用語で、敵から奪った美術品や兵器などを指しますが、近年ネットでは「販売イベントで買った品々」を指して使われるケースが目立ちます。

しかし「戦利品」とは少々大げさでないでしょうか。言ってしまえば、ただお買いものをしただけ。いったい誰と向き合い、何と戦って得た品だというのでしょう。


戦利品はSNSで踊る


たとえばコミケや東京蚤の市、紙博といった多くの来場者が押し寄せるイベントが開催されると、TwitterやInstagramで「戦利品」という言葉が躍ります。

開催当日はもちろん、閉幕してから落ち着くまでの数日間。写真付きの投稿がしばらく続きます。


このように、買って手に入れたものをまとめて1枚の写真に収める、あるいは1点ずつ紹介するかたちでアップされます。

「わたしは今回、こんなものを買いました」という純粋に備忘録的な意味で投稿されることもあれば、イベント限定品など入手困難なものをゲットできた自慢もありますし、こんなに大量のものを買ってしまったわたしを誰か止めてよ的な自虐もあります。

動機はどうあれ「自分が買ったものをみんなに見てもらいたい」という気持ちがあるんですね。もちろん僕にもあります。

一方で「みんながどんなものを買ったのか」も気になるため、他人の戦利品も見たくなります。

そこで重宝するのが、イベント名のハッシュタグ(#紙博とか)。

イベントに参加した人は「自分はここのブースに寄らなかったけど、こんな素敵なものがあったのか」という気づきにつながります(そして2日目にリベンジ参加することも)。イベントに参加できなかった人も「行った気になれる」という楽しさがあります。

SNS全盛の現代において、各種イベントに参加するというのは「会場でお買いものをすること」だけにとどまらず「帰宅後にSNSで戦利品をアップすること」までも含んでいるのかもしれません。


わたしたちは何と戦っているか


さて、それではなぜ「戦利品」という言葉が使われるようになったのか。

ネットスラングはいつも起源がはっきりしないことが多く、気づけばみんながあたりまえのように使っている、というケースがほとんどなのですが、この「戦利品」についても同じことが言えます。

(はっきりとした起源をご存知でしたら誰か教えてください)

注目したいのは、その言葉が生まれた発端というより、なぜそれが定着したのかという点です。

言葉というのは実情に合わず、しっくりこないようなら別の言葉に置き換わっていく流動的なもの。なので定着したなら、それなりのワケがあるはずです。

そう考えると、やはりイベントにおける戦利品は「何かと戦って勝ち得た証」という意味合いが含まれるのだと思います。

でも、だとすると、わたしたちは何と戦っているのでしょうか。

たとえばお買いもので比較するなら、1970年代に起こったオイルショックにおけるトイレットペーパー争奪戦を例にとると分かりやすいです。

わが家のトイレの紙を切らしてはならないと躍起になった人たちが、我先にと買い求めたあのころ。敵は同じ町に住む人たちでした。(僕はまだ生まれてなかったけど)

同じスーパーを利用する生活圏内に住む人同士で争い、愛する家族のために無事にトイレットペーパーをゲットできたなら、まさしく勝ち得た戦利品と言えたでしょう。

一方で、イベントはどうでしょうか。

たしかに数量限定で販売されるものもありますし、争奪戦になる局面もまったくないとは言えません。

でも、個人的に知る限りでは「紙博」のようなイベントは、みんなが各自のんびりと好きなものを買い集める雰囲気があります。

誰かを押しのけて手に入れる、という空気がまったく感じられないんですよね。

それではなぜ「戦利品」と表現されるのか。僕の仮説はこうです。

イベントにおける戦利品とは、自分に勝った証である。

つまり戦っているのは他人ではなく自分であり、自分との戦いに勝利して手に入れたから戦利品なのである、という説です。


予算と理性に勝利せよ


その「自分」を分解すると2つあって、ひとつは「自分の予算」

限りある予算の中で、欲しいものを厳選して購入していくわけですが、あれも欲しい、これも欲しいと思う気持ちを整えて、予算内にきっちり収めていく。こういう戦いがあります。

ちなみに紙博のお客さんの中には「軍資金は諭吉3人分」なんてセレブな方もいるのですが、誰もかれもが予算を無視できるわけではありません。

限られた予算内で、何を選んで何を買うか、そのセンスを磨くのもまたイベントの醍醐味のひとつであり、そのセンスの結晶体を戦利品と呼ぶとすれば、表現としてしっくりきます。

もうひとつは「自分の理性」。お金に糸目をつけず、欲しいものを買いまくってしまう自分との戦いです。

ネットスラングで言えば「沼」、みうらじゅん氏の言葉を限れば「DS(どうかしてる)」と言われる境地に陥らないように、みな自制心を働かせるわけですが、イベントの熱気に圧されてついついタガが外れてしまうんですよね。

そして気づけばバッグがモノであふれて、帰り道にふとその重さを実感するという。

あれもこれも買いすぎないように「理性との戦い」に勝利して、本当に欲しいものだけを手に入れる。その結果として手元に残るのが戦利品というわけです。


戦利品のキャパを決めよう


予算と理性。もしもこのふたつに負けてしまいそうなら、あらかじめ物理的なキャパを決めておくのはどうでしょう。

「このバッグに入るだけ」「この箱に入るだけ」の量を手に入れたらおしまい。と、自分にルールを課すことです。

これは本気でおすすめしたいのですが、ハイモジモジの「WORKERS'BOX」は「イベントの戦利品入れ」にぴったりなんです。



2cmの厚みがある箱なので、そこそこ量が収まる一方で「ここまで」という限界も見えやすくなります。

さらに表紙や背表紙にタイトルを書けるので、たとえば「京都紙博2019」などと記入しておけば、その一冊がまるまるメモリアルボックスになります。

買ったものをバラバラに保管するのも各人の自由なのですが、サイズもジャンルも異なるものも「イベントごと」でまとめておくと、いつ、どこで買ったかをすぐに思い出せます。

というよりフタを開くと、イベントの楽しさがよみがえってくるんですよね。

戦利品のキャパを決めつつ、メモリアルな存在になる「WORKERS'BOX」。イベントにつき1冊は手元に置いておきたいものです。


戦利品はイベントを楽しんだ証


などといろいろ語ってきましたが、イベントの楽しみ方は人それぞれ。

まずは「楽しむ」という気持ちで臨みましょう。そして自分だけしか表現できない、たくさんの戦利品をゲットしてください。

戦利品とは、自分と戦った証であり、自分が楽しんだ証なのですから。


★お知らせ

2/23(土)24(日)、京都国際会館で「紙博&布博」が開催されます。ハイモジモジも出店しますので、ぜひご参加ください。

イベントの詳細はこちら▼


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