バッターボックス

 「島田紳助 素振り」で検索をすると、ミスタータイガース掛布雅之のエピソードが並ぶ。それらほとんどが『紳竜の研究』というDVDからの引用となるらしく、さらに言えばそこに収められている2007年3月に開かれたNSC(吉本総合芸能学院)の特別授業へとたどり着く。

 わたしは毎日のnote日記を時刻を定めずに投稿している。ある時は早朝で書き上げることもあれば、その次の日には日を跨ぐぎりぎりまで時間がかかってしまうこともある。これといった生活習慣にまで確立されていないnote日記を回数だけ積み重ねて、「毎日の素振りを500回」という考え方がどれだけ凡庸であるかと気づかされる。

 島田紳助が話す掛布雅之の素振りとは、おおよそこんな話だ。そこに紳助口調の味付けもなされて、「500回の素振りを考えなしに毎日やっても筋トレにしかならへん、腕太うなるだけやで。だからプロは考えなあかん」と提示されていく。
 ピッチャーは誰か。ボールカウントとその配球は。次は何球目でどんな球種。さらには守備につく野手の配置、味方走者の進塁状況。となると相手バッテリーの組み合わせにキャッチャーとの駆け引きもどうだろうか。身体のコンディションやその日の成績は。ゲームの展開は何回まで進んでいるか。風向き、球場の熱気。審判のコールが響き、スタンドからは声援と野次が入り混じる……
 いかに試合を事細かにイメージできるのか。一球、一球。素振りの一振りに明確な意識付けができるか。そこから必要な要素だけを抜き出しての500回、その500回が他者の目からは同じように見えても回数では括られない努力の差なのだと受け取れた。

 ある時、わたしの投稿する記事はnoteの日記タグで新着順に並べると、どのように見えるのか疑問が浮かんだ。上から順に他記事の数々をスクロールさせても、同じ1時間以内に投稿された記事の中から探し出すことは難解であると知った。そこに加えては一日のうちのいつに投稿されるかが不明で、大体の文字数や読み終えるにはどれくらいの時間がかかるのかも決められていない。ただひたすら、それらしい題名と見出しがあるだけだと確かめた。

 わたしのnote日記は例によって回数をこなす筋トレだった。そこから脱却するには先々の改善点が纏ってくるのだった。それはすなわち、同じように一年間の毎日投稿を続けている人であっても、取り扱うテーマや他の要素にも納得の行く制限を課して、継続したことでそれぞれが花開くのだと想像を膨らます。

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