人生を変えた出会い

 出会いは一つずつ繋がっている。
この場所に辿り着いても先は遠くにある。
いつか巡る出会いが元の場所へと戻ったならば、と夜を描く。
戻らない時間とままならない日々、今度も眠らない夜を描く。

 踊るあなたの笑いにつられて、倣うわたしの表情が和らいで、その瞬間が過ぎれば忘れ去られる、いわゆる思いつきは、お互いが真剣になって、悪ふざけという形で張り合っていた。
二十歳そこらの男女が象った子供の遊びは周囲の大人を巻き込んで急ごしらえの輪を形成する。
向き合うわたしの両隣には、小さな人だかりの中で一人また一人と踊りが広がっており、二人が結ぶ透明な円に従った。
 未だに帰らないでいる。
立ち止まった場所から確かに見える、真白な砂浜に足跡が続く、そんな一間の子供遊び。
波の音さえかき消される真っ直ぐな歌声、強く張られた太鼓の反響音。

 市内の中心地にあるアーケード街は夏祭りが行われていた。
わたしは何か普段の用事があったのだと思う。
その当時に営業を続けたCD屋での買い物だったり、売り切れた週刊誌を探し求めて市内の本屋を見て回ったり、そんな類の急ぎではない用事によって暇を余していたと思う。
だから十字路を左に曲がったのだと考えている。
 女子たちの高低合わさった若い歌声が顔の向く方から聞こえた、たったそれだけのことだ。
今のわたしでも同じように行動しただろう。
もっと前のわたしならばどう動いただろう。
分からないなりに人だかりとしてその場に紛れたか。
いや、素通りしたはずだ。
十字路を左に曲がらなかった。
歌声にすら気がつかなかった。
この何れかに違いない。
暇を余してCD屋を目指すか、ひょっとすると。
 始めから決めていた。
男女が掛け合う歌声を聞きに行った、探していた。
真っ直ぐな歌声と女子が手に持つ島太鼓の反響音、二重の円を形成する踊りの輪。
上下揃えた白色のユニフォームと各々の背番号で頭には手ぬぐいを巻いて、青やら赤やら多様な浴衣姿も肩から帯に足先までおしゃれして、一地域の青年衆が同じ地域の年配者や親兄弟から引き継いだ祝い事としての、伝統行事や文化継承といった前置きを見せつけない同年代の歌と踊りを、夏祭り会場の周辺地図と番号割り振りで知り得た概要欄やタイムスケジュールは、新聞告知だけを頼りに、目指した、決めていた。

 踊りの何がここまでわたしを揺り動かしたか。
歌だ。

 20年と知らずにいた、気づくことがなかった。
この島一帯の踊りについて、踊るうねりが身振り手振りに足並み揃えて、声を合わせて歌っていると。
老練な歌声ばかりではない青年衆の真っ直ぐな掛け合いが、わたしたちのものであって、懐かしさであって、今であると。
 近所の公民館にて小学生は、家の目の前より公園広場で中学生は、週末ごとに夜遊びが過ぎる10代の面々は、2006年の島内で開かれたレイヴでは、全て、自ら機会を捨て去っていた。

「奄美大島で開催されたレイヴって、どんなイメージがありますか」
「本番の皆既日食音楽祭、2006〜08年まであったプレイベントのどちら」
「06〜08、プレイベントの方です」
 突如として切り替わった会話、返答に詰まる。
きっちり伝えられるフレーズが無い。
2009年の本開催ではチケットが買えなかったが、大体の共通認識は纏う。
異様な空気感、だろう。
 思い出は短く残る2006年、4つ打ちで踊り続ける浴衣の面々が真っ先に思い出される。
島の住民がもてなしの場で披露した「六調」と称される曲は、5回連続のアンコールを鳴らしていた。
三味線と片手持ちの島太鼓が刻むはシャッフルのようなリズムで、指笛と節回しに囃し言葉はそれぞれの踊りが乗り合う。
その内タイムテーブルは進む。
出番を控えるDJは、ビートを合わせたバスドラムと聞き取れるハイハットによって、人々の足捌きをステップへとミックスさせた。
10分間のレイヴ。
ステップが徐々に止むまで、極めて刹那なあの時間こそが間違いない。
「なんだったんでしょうね。その10分はともかく、あれだけアンコールが続いたのは」
「一体感、率直な感想だけど。わたしたちは探り探りで始まって、そこに唯一の踊りがあった。でも、そうじゃなかったんだろうなって。翌年には見える景色も違っていた。順番があるんだなって」
「順番ですか」

 わたしたちは音から離れていたか慣れていたからか、静寂とも思える普通のトーンでいた。
今年も会えましたね。
イロドリさんの方からわたしに声をかける。
 再会と今日の感想を話しただろう。
イロドリさんはDJとして出演する時刻を告げる。
わたしは踊りに行きますよと交わす。
間際、お互いがこんな言葉を発していた。
島だからって、町内会の踊りは流石にと思う。
言えてる、レイヴなのに盆踊りはね。
 太鼓を叩く音と調節するクサビの音が交互に鳴る。
鳴った方に顔を向ける。
浴衣姿の一連が整列していた。
 イロドリさんはどこか見渡せる距離で佇んで、わたしは大人数の行列が形成する輪の中で踊る。
言葉に出した気まずさは薄まりつつあって、見渡す顔が他の群がりとして溶ける。

「順番があった、そう思う。2006年のアンコールも、そうだと思う」
「そうなんですね」
「六調だけじゃなかった。きっと、ひとつ前の踊りから始まってた」
「うん」


 戻らない時間とままならない日々、眠らない夜。
 奄美パーク片隅にあった八月踊り体験コーナー、踊るあなたが何を歌っていただろう。 



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